◆転機ってだいたい不具合付き〜でもそれ、進化のサインかも〜

なんだか最近、うまくいかない。

物が壊れる、ぶつけて破損する。

何もないのにガラスが割れる。

人間関係は微妙なズレからうまくいかなくなる。

寝ても疲れがとれにくい。

ミスからお金が出ていくことが重なる、など

不注意もあるけれどそれだけじゃない気がする。

転機かな?
転機の時はだいたい不具合だらけ。

実は私自身、転機の前後はいつもこんな感じです。

転機はいわば、人生のOSアップデートみたいなもの。
エラーも出れば、動作も重たくなる。
わかってはいるけれど焦るし落ち込みます。

それでも過去を振り返ると、
「あの時はしんどかった。
けれど、あれがあったから今がある。」
そんなふうに思うことが大半。

これってきっと新しいステージに行くための準備や合図。
転機のあとはその都度よくなっていったし。

長年使ってきた電化製品に不具合がでたら、
「そろそろ、買い替え時かな?」と思うように、
「お!変化のタイミング来たな」と思えばいい。

大丈夫!
転機のあとはまた新たな流れに馴染んで進化する。

特に春って天気も気温も変動が大きくて
人生の転機と似ていると思います。
どんな悪天候でも必ず終わりはあるもんね。

大丈夫!

転機の後は晴れるよね。

もし私のような方がいらっしゃったら
「こんな時もあるさ」と共にすすみましょうー。

ちなみにこのような時期人のやさしさや、あたたかさに
敏感になり、健康の有り難みが身にしみ、
ちょっとしたことへの感動が増します。

だって色々壊れたりするのに私自身は無傷。
ありがたや。

また、ここまで書いてなんですが、こうも言う。
「知らんけど、大丈夫‼︎」
唱えるねん(笑)

あらがわず天にお任せするおまじない言葉。
けっこう効きます。

◆板挟み

私のカウンセリングを受けて
症状が回復されてきたクライアントさんが
ある時を境に調子を崩されたことがありました。

きっかけは、クライアントさんが
他の専門家の意見や見解を聴かれ、
それが私と違っていたことが要因の一つでした。

信頼してきた各専門家の言うことが違うとなると
そりゃぁ迷うし混乱します。

こういう時最優先に考えなければならないのは、
どちらかの正しさではなくクライアントさんの「安心」。

体は正直なもので迷いや疑いが、不安や心配になると
てきめん症状に出やすいです。

そこで私はこれまでのカウンセリングを振り返り、
整理し、別の専門家に伝えていただき
先方の意見を伺うことにしました。(ご本人の意思と合意で)

クライアントさんのための治療的カウンセリングが
支援の相違で混乱させたり板挟みになるのは辛い。

直接連携が出来たらいいけれど順序がありますし。

何にせよ、何のために? 誰のために?
そこがブレないように気をつけたい。

私の関わりがクライアントさんにとって
今、最善でないならば変えるのも一つ。

これに限らず、どの事例でも
まず「安心」を感じてもらえるよう
心がけていきたいです。

◆マイノリティで、なかなか意見が言えなかったこと。

多数決をとると少数派になる。
そういうことが公私ともけっこうあります。

例えば仕事では(10年以上前ですが)心理カウンセラーの会議で
「大人にだけでなく、アダルトチルドレンの理論や癒しを子どもに伝えていく
カリュキュラムやアプローチが必要だと思う」と発言したところ
周りはよい反応ではありませんでした。

理由は子どもには難しい。
親から抑圧されているのに効果がないのではという理由、
または前例がないから、その他でした。

最近では、学校カウンセリングで
オンラインカウンセリングの導入の是非についての話しあいの時
私以外の方は、積極的ではありませんでした。

理由は安全が守りにくいから。
対面ほどの効果がないと思うから。
無断で録音される可能性があるから。
やったことないから。など他にも沢山ありました。

どの意見も一理あります。
またどんな方法もメリットデメリットがあると思います。

ですがデメリットがあってもメリットに転換できるよう
ルールをつくったり、段階をへたり、
まずやってみて(相手の合意を得て)改善改良していくことが
大事じゃないかなと私は思います。

とはいえ性格的に元々失敗に抵抗が薄かったり、
無鉄砲なところがあり慎重性にかけるところも自覚していますが。

この例でいうと、全てオンラインではなく
カウンセリングに行けない子や出れない親に対し、
まずとっかかりとして枠を用意してみる。
中には顔をだすことすら辛い人も中にはいるわけで。
そういう方々が外とコンタクトをとる一歩として、
選択肢に幅があるっていいと思うんです。

出来ない理由を並べてやらなかったり先送りするより、
出来る方法を考えためしていくことが進化じゃないのかな。

また大人や専門家の長年の慣れや「こういうもの、あるべき」の
思いこみに気づき変えていくことこそ
教育じゃないんかな(自分自身の)と思いますが
なかなか言えない、大勢の場で。で、落ちこみます。

うーん。私もまだまだ発展途上ですね。
言えるようにがんばる。「伝える」をやっていきたいです!

◆しあわせと不幸について

6年ほど前、30年ぶりに
中学時代の先生に再会しました。

80才近くになられる先生は
私の目をじっとみつめて静かにおっしゃいました。

「あなた、しあわせそうね。」

お話ししたのは2、3分。
近況を話していないにもかかわらず、
先生の目には「しあわせ」に映ったのが印象的でした。

その時、ふと考えたんです。
学生時代の自分と、今の自分。
何が変わったんだろう?

もちろん先生に再会した時に
悩みがなかったわけではありません。

落ち込んだり、心配や不安になる日はあったし
時には自信をなくすことだってあるわけで、、
(今もそう。)

それでも先生の目の中の私は「しあわせ」に映り、
確かに自分もまた「しあわせだ」と感じてくださった。

あらためて、しあわせと、不幸のちがいって何だろう?

しあわせや不幸の定義は人それぞれだと思います。
何を持っているかや、肩書き、外的状況では測りづらいもの。

私にとって「しあわせだな」と思う時は
目の前にあるものや人に、小さなことや、ささいなことでも
「ありがたいなぁ」と自然に思えている時です。

例えば、連日雨で蒸し暑くて寝苦しかったけれど、
今朝は晴れてカラッとしているとか。

忙しい時に「大丈夫?」「なんか手伝おうか?」と声かけてもらったとか、
相談者さんが変わらずに約束の時間に来てくださったとか、、、

日常に埋もれそうな一つ一つの瞬間に
心がありがとうといっぱいになる、そんな時です。

逆に、不幸だと感じる時は、「あれがない」
「これもできていない」とないものや、変えられないもので
いっぱいな時かもしれません。

また「〇〇された」「〇〇のせいだ」と人や何かのせいにする考えに
とらわれている時もやはり苦しい。
気持ちや体が重くなっていく感じがします。

そう考えると先生に再会した時、
確かに昔の自分よりはしあわせでした。

そして、その心の在り方が
伝わっていたのがうれしかったな。
またそれを伝えてくださる先生との関係に
ありがとう、ですよね。

調子がよくない時
何をやってもうまく回らない時
自分では変えようのない状況や出来ごとに出会う時
そんな時こそあえて
今あるものにそっと目を向けよう、
あるものを数えよう、
そう意識するようにしています。

当たり前のように感じる空気、身近にいる人の眼差しや、
何気ない会話、水や食べ物、やってくる朝。
それらがこの瞬間になかったら??

そう考えると今ここにいて、それらを感じられること
そのものが本当にしあわせ、ですもんね。

しあわせって日々の選択。
そして見えないようでいて滲みでるものなんだなと思います。

◆「先生って世間知らないよね?」に感じたこと

SNSで「子どもが学校に行きたがらないのは
担任との相性や折り合いが悪いため」
といった内容の投稿を見ました。

コメント欄には「先生って世間知らないよね」
などといった批判が並び、心がザワつきました。

保護者として心配な気持ちや
子どもの気持ちを代弁したい思いはわかります。

私自身、過去に担任との関係に悩み、
攻撃的な感情を持ったこともあります。

でも今、カウンセリングを通して
多くの先生方と接することで見える現場は、
「子どものために何ができるか」と日々尽力されている先生が
たくさんいるということ。

土日も返上で働いている方が多く、
仕事量に見合わない待遇に頭が下がります。

心理学に「認知の歪み」という考え方があり
その一つが「一般化」です。

例えば「先生=○○な人たち」との決めつけや
以前の体験が今回も同じだと思いこむことです。

子どもが「先生と合わない」と感じている時、
まずは子どもの話を丁寧に聴く。

そして同時に「先生にも事情があるのかも」と
多角的に状況を見る視点も必要だと思います。

SNSは自由な発信の場。
でも一つの出来事で多くの人が
「先生ってさ…」と一括りにするのは危ういと思う。

何が怖いって子どもは大人の言動や対応を
よーく見ていてそれを真似るということ。

結局、「世間知らず」はお互いさま。

先生がどれだけ大変な業務量かって実際知らんやん?
今、両方の立場に触れるからこそ思うことは
人育て、人育ちに必要なのは
「決めつけ」ではなく
大人も子どもも「感謝とリスペクトと対話」。

これはお世話になっている学校の上司から
実践を伴い教わったことです。

何を感じるかは自由だけれど、
感謝と、リスペクトと、対話、ですね。