◆しあわせと不幸について

6年ほど前、30年ぶりに
中学時代の先生に再会しました。

80才近くになられる先生は
私の目をじっとみつめて静かにおっしゃいました。

「あなた、しあわせそうね。」

お話ししたのは2、3分。
近況を話していないにもかかわらず、
先生の目には「しあわせ」に映ったのが印象的でした。

その時、ふと考えたんです。
学生時代の自分と、今の自分。
何が変わったんだろう?

もちろん先生に再会した時に
悩みがなかったわけではありません。

落ち込んだり、心配や不安になる日はあったし
時には自信をなくすことだってあるわけで、、
(今もそう。)

それでも先生の目の中の私は「しあわせ」に映り、
確かに自分もまた「しあわせだ」と感じてくださった。

あらためて、しあわせと、不幸のちがいって何だろう?

しあわせや不幸の定義は人それぞれだと思います。
何を持っているかや、肩書き、外的状況では測りづらいもの。

私にとって「しあわせだな」と思う時は
目の前にあるものや人に、小さなことや、ささいなことでも
「ありがたいなぁ」と自然に思えている時です。

例えば、連日雨で蒸し暑くて寝苦しかったけれど、
今朝は晴れてカラッとしているとか。

忙しい時に「大丈夫?」「なんか手伝おうか?」と声かけてもらったとか、
相談者さんが変わらずに約束の時間に来てくださったとか、、、

日常に埋もれそうな一つ一つの瞬間に
心がありがとうといっぱいになる、そんな時です。

逆に、不幸だと感じる時は、「あれがない」
「これもできていない」とないものや、変えられないもので
いっぱいな時かもしれません。

また「〇〇された」「〇〇のせいだ」と人や何かのせいにする考えに
とらわれている時もやはり苦しい。
気持ちや体が重くなっていく感じがします。

そう考えると先生に再会した時、
確かに昔の自分よりはしあわせでした。

そして、その心の在り方が
伝わっていたのがうれしかったな。
またそれを伝えてくださる先生との関係に
ありがとう、ですよね。

調子がよくない時
何をやってもうまく回らない時
自分では変えようのない状況や出来ごとに出会う時
そんな時こそあえて
今あるものにそっと目を向けよう、
あるものを数えよう、
そう意識するようにしています。

当たり前のように感じる空気、身近にいる人の眼差しや、
何気ない会話、水や食べ物、やってくる朝。
それらがこの瞬間になかったら??

そう考えると今ここにいて、それらを感じられること
そのものが本当にしあわせ、ですもんね。

しあわせって日々の選択。
そして見えないようでいて滲みでるものなんだなと思います。