◆ホントは・・だけど、言い訳や誤魔化してしまう時。また本心がわからない時。

言い訳や誤魔化し、必要以上の説明をすることを
心理学では「合理化」と言います。

例えば、毎日ランニングしようと決めていたけれど、いつの間にかできなくなった。

→ 時間が忙しいから。
生活のリズムが変わったから。
家族との生活のバランスがあるから。など。

本当はできていないことに罪悪感やうしろめたさ、
出来る人と比べる自分など様々な思いがありますが
それを直視すると痛いので誤魔化すわけですね。

言い訳で、納得しようとすると結局なにかしら後々くすぶり
心身の不調に繋がることもあります。

とはいえ、私はその言い訳は必要な時期があると思うのです。

その言い訳で傷つく自分が守れたんだから。
誤魔化しで酷い痛みを受けずにすんだんだから。

ただ、そのまんまだと、やっぱり苦しい。

誤魔化しは誤魔化しでしかなく、
本当の自分の思いがワカラナクなっていきます。

無意識です。
私もよくあるんです。

気づいてないことが多く、あとで気づくので
もっともらしい理由となります。

その時はいいけれど何かしらモヤモヤが残ります。

・・・ん?もっともらしい理由?

そうだ、言い訳と理由は表裏一体なんだ。

言い訳や誤魔化しは仕方ない。
(開きなおってるわけじゃないょ)

じゃぁ、そのもっともらしい理由をゆっくり考えてみればいいんだ!
自分のタイミングで(^^)

いきなり、あるがままで、自分の本心でって、

・・・理想だけど、出来る人もいるけど出来ない人もいるんだよね。

そう言われて責められているような気分になる時もあると思います。

「合理化」も無意識におこる心を守る機能です。

本心に出会う鍵は、その理由にあり。

もし、なんかモヤモヤするな。
もしかして言い訳やこだわりや、気持ち悪いことがあるなら、
その理由をゆっくりみつめてみませんか?

あなたの本心はあなたの味方です。

◆「普通は〇〇でしょ!」その普通は歪んでませんか?

日本人は〇〇だ
A型は神経質だ
女性は甘いもの好き
関西人はお笑い好き・・・・など

一般的によく耳にする言葉です。
私も使うことがあります。

確かに、多数決で言うと当てはまることが多いかもしれません。
ただ、だからと言って全てそうかというと違いますね。

【過剰な一般化】
心理学では、ある出来事をもとに一般化して物を考えてしまうことを
過剰な一般化と言います。

例えば、付き合っている男性が浮気したら
「男は浮気するもんだ」と思い込むとか。

これは思考の癖。「認知の歪み」と言います。

誰にでも思考癖はあります。
私もあります。
それが個性だとも思います。

しかし、これが行き過ぎると人間関係がうまくいかないし
自分の思考癖で自分をしんどくさせることもあります。

決めつけや思い込みがない人はいないと思いますが
自分の普段思っていることや話していることを
確認できる心の余裕をもてると余分な力が入らずラクです。

思考癖や
わかっているけれど自動的に同じ考え方に
とらわれてしんどくなる方は
カウンセリングがオススメです。

◆相手が成長するフィードバックの仕方

相手にとって言われて嬉しいフィードバックもあれば
よかれと思って言ったことが、傷つけたり伝わらなかったり
関係が悪くなってしまうことってありませんか?

日常で使うフィードバックは
心理カウンセリングではフィードバック技法という
「技法」であり、かなり慎重に扱います。

タイミングや伝え方を間違うと効果がないからです。

そもそもフィードバックって何でしょう?

フィードバックとは
「他者に、私や第三者にどう見えているかを伝えること」です。

何のために?
「フォードバックを受けた人が、自己探求・自己吟味するため」です。

つまり、言われた相手が気づいていない
自分の外面、内面を自分で気づく為のもの。

これが伝える人が主体になってしまうと、いくら事実でも
あんたにそんなん言われたくないわーとか、

もしくは、私ってダメ、ダメ・・・となってしまいます。

相手の為にと思ったことが
仇になってしまうって、もったいない。

残念な結果にならない為にも
相手に届くフィードバックの仕方を身につけたいです。

(1)どう見えているか事実を伝える
例:いつもと違う様子の時にフィードバックする時
   〇言葉数が少ないですね。
   Xつまらなさそうですね。

この2つの違い、わかりますか?
主観か、事実かの違いです。
Xは、こちらが感じている主観のみ。
〇は、見たまんま。

(2)第三者にどう見えているかを、伝えること。
  「〇〇さんが、あなたがいると、まわりが明るくなるって言ってましたよ」

フィードバックは、見えている事実や
第三者が言っていた事実を伝えるのが基本です。

(1)の例で言うと「つまらなさそう」は
自分の意見や自分が感じたことになります。

意見や感想も必要ですよね。
ただ、フィードバックは気づいていない部分に相手が気づく為のものです。

そうなると、タイミングが大事。

フィードバックは受けとれてこそ効果があるもの。

1、相手の成長に繋がるタイミングか
2、信頼関係ができているか
3、言ってることが理にかなっているか

そして言いっぱなしにしないこと。
言った後に、相手と話せるといいですね。

言いにくいことだけではなく
相手の素敵な部分を伝えるのもフィードバックです。

発信する側も、受ける人にとっても
新たな発見のあるフィードバックを使っていきたいですね。

◆人は間違いを指摘されても、なかなか変われない

間違いを指摘された時
それが、どんなに正しくても素直に聴けないことがあります。

それは伝え方や言い方に責められている、と感じるか感じないか。

つまり評価や批判を感じるか感じないか。
上から言われているような気がするかしないか。
それが溜まりに溜まってきたら、なおさら聞けないことがあります。

私は長い間、自己肯定感がとても低く
他人の目が気になり、人に褒められるように
認めてもらえるように生きてきました。

それに気づいてショックだったけれど
それを変えようと思ったのは
正しいか間違っているかではなく評価のない人の愛でした。

私に気づかせてくれたその人は私を責めなかった。
その代わり、私をまず信じてくれた。

あなたは間違っている
早く気づきなさいよ
何回言えばわかるの?

とは言わなかった。

その人が私にくれた言葉は
「今までのやり方が例え間違っていたとしても
それが、あなたを守ってきてくれたのね」

涙が止まりませんでした。

私は変わりたい!
新しい生き方で生きていきたい!

心からそう思えました。

私のことを信じてくれていることが
先に伝わったと感じたんです。

間違いを正す以前に
私を受けとめ信頼してくれたんです。

自分を満たすためにやってきたことが
例え偽善であったとしても
今までのやり方に感謝だね、と。

やり方がまずくても決して裁いたりしない。
それが出来るのは、強く大きな愛がなければできないことだと思う。

温かかったなぁ。

信じているよ
信じているよ
信じているよ

そんな無言のメッセージを受け取りました。

私の今の心の柱に自己信頼が築けたのは
恩師の大きな、条件なし(無条件)の愛です。

一生忘れません。

◆依存と共存は紙一重

依存。

いきなりですが
依存を大きく分けると2つにわかれます。

1つは「物や行為への依存」
1つは「人への依存」です。

そして「人への依存」は2つのタイプにわかれます。

(1)人に何かとお世話をしてもらう
(2)人をお世話する

え? (2)も依存なの?

はい。そうです。

「人をお世話する」というのも内容や状況によって依存が多いです。
そして、それを依存関係だと気づかずにやっている場合が多いです。

・相手のことが気になりお世話せずにいられない
・頼まれていないのに先回りをして手をやく
・私がいないと!と思う
・自分のことを後回しにして人を、自分が出来ていなくても
 同じように出来ていない人を応援したり、お世話をしたりする。
・人に頼れない、任せられない。なんでも自分でしようとする

当てはまっている!と思う時
良かれと思ってやっているのになかなかわかりあえない、虚しい
または人とギクシャクする、なぜこじれたかわからない、、、しんどいですよね。

私は長い間「依存」で人と繋がっていました。
それが良かれと思ってやっていました。

自分をおいてでも相手の為にすることを応援すること、
人との仲を取り持つことなどが愛や優しさだと思っていました。

そして分かり合えないと泥沼化に発展することもあります。

つまり「依存」と「共存」は紙一重。
しかも無意識なので、なかなか「依存関係」には気づきにくいものです。

最初は心地よさを感じますが、依存になり関係が続くと
多大に傷のかばい合いになり内輪だけの仲間意識だったり
逆にライバル心に発展する場合もあります。

特に、講師や教師、セラピストさんなど
人の成長に関わる人に紙一重の「依存」が見られることがあります。

私も長年の癖が出る時があり、ハッとして引き戻します。
そんなときは冷たいと思われても線を引くことをします。

しかしながら、依存がない人はいない。
それこそ、完璧はない。

人それぞれの愛や思いやりの表し方は違って当然でもあります。