間違いを指摘された時
それが、どんなに正しくても素直に聴けないことがあります。
それは伝え方や言い方に責められている、と感じるか感じないか。
つまり評価や批判を感じるか感じないか。
上から言われているような気がするかしないか。
それが溜まりに溜まってきたら、なおさら聞けないことがあります。
私は長い間、自己肯定感がとても低く
他人の目が気になり、人に褒められるように
認めてもらえるように生きてきました。
それに気づいてショックだったけれど
それを変えようと思ったのは
正しいか間違っているかではなく評価のない人の愛でした。
私に気づかせてくれたその人は私を責めなかった。
その代わり、私をまず信じてくれた。
あなたは間違っている
早く気づきなさいよ
何回言えばわかるの?
とは言わなかった。
その人が私にくれた言葉は
「今までのやり方が例え間違っていたとしても
それが、あなたを守ってきてくれたのね」
涙が止まりませんでした。
私は変わりたい!
新しい生き方で生きていきたい!
心からそう思えました。
私のことを信じてくれていることが
先に伝わったと感じたんです。
間違いを正す以前に
私を受けとめ信頼してくれたんです。
自分を満たすためにやってきたことが
例え偽善であったとしても
今までのやり方に感謝だね、と。
やり方がまずくても決して裁いたりしない。
それが出来るのは、強く大きな愛がなければできないことだと思う。
温かかったなぁ。
信じているよ
信じているよ
信じているよ
そんな無言のメッセージを受け取りました。
私の今の心の柱に自己信頼が築けたのは
恩師の大きな、条件なし(無条件)の愛です。
一生忘れません。