◆断る基準

最近、断られたり断ったり
どちらの立場にもたつことがありました。

一つは食事の予約です。

お気に入りのレストランに予約の電話をしたのですが
こちらと店側の日程や都合があいませんでした。

以前はイレギュラーでも対応してくださったのですが
今は難しいと。

でも人数を集めてくださるなら対応しますよ。

またはその日にお店側が募集をかけて集まったら
予約を受けると言われました。

またその際に個人のお家のご都合もおっしゃいました。

要はこちらが人を集めてくるか、
お店が集める不確かな予定を待ってねということでした。

う〜ん。。残念、お断りしました。

大好きなレストランで美味しいお料理。
こちらが無理を言っているのはわかります。

でも提示していただいた条件は店側の都合でした。

家族や大切な人たちと特別な日の食事だから
人数を集めるなんてできないし
ましてや集まるかどうかわからない不確かな時間を待つのは
出来ないと断念しました。

お店は悪くないです。

無理をいってるのはこちらで
仕方がないことです。

でも逆にストレートに断られてた方がよかったかな。

提案頂いた内容は店側が主だと感じたからです。

もう一つはある日の朝のことです。
ピンポンがなりインターホンに出たら
中年の男性が画面にうつり
「取りにきてください」と言われました。

回覧板だと勘違いして出ると商品券を渡されました。

いきなりむき出しで5枚。

新聞の勧誘でした。

裏返しで渡され手にし表にしてびっくり!

すぐ「結構です」とお断りすると
「今すぐにじゃなくていいです、また覚えておいてもらったらいいんで。
業界厳しいんで」と言われました。

「結構です、受け取れません。」とお返ししました。

ピンポンして名乗りもせず
いきなり商品券渡されて喜ぶと思ったんかな。

10万円渡されてもいらん。
100万やったら、、、いらないです(笑)
逆にこわいわ。

心理学を活かした商法もありますが(また書きますね)
今日のこれはアカンやつ。

取りにきてくださいって何をやねん、、、って。
確認が必要でしたね。

レストランと、新聞は全然ちがいますが
どちらもお客さんへの思いを
こちらがどう受けとるかだと思います。

断る時、どちらの立場でも「基準」を持つ大切さを、
そしてそこには損得だけでない「気持ち」が反応するんだと思いました。

いい勉強になりました。

◆制約のある時間の中に楽しみをみつけられていますか?

「今日の朝ごはん、何食べたん~?」

気心の知れた知り合いに合うとよく聞きます。
別に朝ごはんフェチではないですよ。
でも聞いちゃう(笑)

その方は毎朝、朝ごはんを楽しみに起きるそうです。

ある時はバナナヨーグルトと豆乳コーヒー♪
ある時はカリッカリに焼いた食パンを
コーンスープにひたしながら食べるとか。

先日聞いた時はパンの二重焼き?について
アツク語っていました。
(1回目に薄くバターを塗って2回目塗るんですって)

「最近はまっているのは」なんて言いながら
それはそれは楽しそうに教えてくれるので
それを聞くのが好きです。

オンやオフ、日によっては休みたくても休めなかったり
「~しなけらばならない」という時間が重なり
ストレスになることありますよね。

そんな日々や時間とうまく付き合う1つは
制約のある時間の中で
いかに楽しみや快をみつけられるか?
ではないでしょうか?

あるカウンセリング時に、仕事が忙しく上司がきつく
かなりお疲れになられているクライアントさんがいました。

クライアントさんにとっては朝ごはんを食べるくらいなら
その時間を寝る時間にあてたいとのことでした。

そっか。
じゃあ、さらに寝る時間が極上になり
一日の中でそれが楽しみになる工夫って
何ができるかな?と一緒にアイデアを出し合いました。

まくらを変えてみる
肌触りのいい寝具にしてみる
好きな香りに包まれて寝る
灯りを雰囲気のあるものにする
などなど、沢山出てきました。

「~しなければならない!」に苦しくなり
その考えから自体に働きかけるのも1つですが
このように一日の中でいかに楽しみごとや
快を味わう工夫を考えるか。

これって問題解決に限らず
日常使いしたなぁと思うひとつです。

みなさなんの毎日のお楽しみや
好きなひとときは何ですか?

それらをより快にするにはどんな工夫ができますか?

◆マスターセラピスト

優れた臨床心理家ことを
マスターセラピストと言います。

マスターセラピストは臨床家から尊敬され
また臨床家自身がセラピーを受ける際や
または自分の大切な人がセラピーを受ける際
紹介したいと思えるような人のことです。

具体的には、知識や技術が豊かで
経験が豊富で、いつになっても知的好奇心を抱き
あらゆるものから学ぼうという人をさします。

ふむふむ。

じゃあ、知識や技術や経験を重ねれば
自ずとマスターセラピストになれるのか?
というとそうではありません。

そこにはマスターセラピストとしての
必須の心姿勢が問われると言います。

なんでしょうね、なんだろうな。

昔、初めてこれを聞いた時
それって心理職に限らないと思いました。

それは、マスターセラピストは
「他者からのポジティブ・ネガティブ両方の
フィードバックを得ることで成長した人」
と言われるからです。

一言でいうと、ええ格好しいじゃないってことね。

いやあの、もっと違う言い方があるかと思いますが
表現が乏しくてすみません。

そしてマスターセラピストは
自分のことを
マスターセラピストって言わない人です、きっと。

私の尊敬する、お世話になっている(きた)
スーパーバイザーの先生方(臨床家)は皆そうでした。

自分の場合は謙虚でも自己卑下でもなく
まだまだええ格好しいですし
学べば学ぶほど、自分の技量の限界を知っていなかったことや
知らないことに気づいていないことにショックを受けたり
ネガティブな指摘に落ち込むこともあります。

ですが、最近は特に思うんです。

「失敗は成功の素」以上に
「失敗は成長の素」やなって。

どんな職種でも、
また仕事をしていようが、しまいが
誰しも「生涯学習」やなって。

それを教えて下さったのは
尊敬する心理臨床家の先生方であり
出逢ってきたクライアントさんです。

私にとってのマスターセラピストは
クライアントさんや家族や身近な人たちでもある。

先生がいっぱいですね。

◆パターン化した後味悪いやりとり

「忙しいから、この間の約束なしにしてってお父さんが言ってたよ」
以前、母から言われました。

その2日後に「あの約束、延期にしてってお父さんが言ってたわ」
と妹からききました。

ショック、気分が下がりました。

楽しみにしていた約束が延びたこと以上に
なぜ直接言わないんだろ?と。
そこがモヤモヤしました。

ですが、元の家族ではこれが日常的パターン。

昔はそれが当たり前すぎて
なぜ気分が落ちるのかがわかりませんでした。

母や妹に
「なんでお父さんは私に直接言わないんやろ?」と聞くと

母「そりゃ、言いにくいんでしょう」
妹「知ら〜ん」

これもいつものパターンでした。

で、私がそこに何かを返すと
「お父さんが忙しくて出来ないのに、結香に悪いと思ってるのに
どうしてアンタはわからないの?わがままな子やわ」

→「自己主張がキツいやりにくい子」となり
家族で起きる肝心なことは私には言わないという
構図&コミュニケーションがなりたっていました。

家族間の暗黙パターン。

それは大人になって実家を出ても
人をかえて経験することになります。

直接言ってもらえない
寂しさや疎外感を味わったり。

または逆に私が誰かの代弁を手伝って
コトを納めようとしたり。

間接的にわかるようにしむけたり。

どちらにせよ気持ち悪いモヤモヤが残っていました。

父との約束がダメになったことを本人からではなく
母や妹が伝えてくるという
元家族あるあるコミュニケーション。
つい最近もありました。

昔の自分ならば仲介してきた母や妹に
「なんでお父さんは直接言わないの!?」
と苛立ちをぶつけていたと思います。

そして、父には何も聞かないという態度をとってきました。

そしてお決まりのように
後味わるい感情=疎外感を感じるという‥‥

わたしには直接言ってもらえないんや
そんな存在なんや、、と。

大袈裟なようですが本当にそう思いこんでいたのです。

でもこれってよくよく、よーく考えると
私もまた皆と一緒のことをしてきたんじゃない??

だって、父に直接聞くわけではなく
母や妹に苛立ちや愚痴をかえしてきたわけですから。

それに気づいてからは自分はそのループから
抜けたいと思うようになりました。

きっと後味悪いのは自分だけじゃなかったはず
何よりややこしいし(笑)

そもそも、みながそれぞれ
本人に直接いえば解決できたことが
たくさんあったように思うのです。

とはいえ私が「いちぬーけた!」をしようが
家族が急に変わることはないと思います。

また何がなんでも変えたいとも思いません。

ですが、自分がそれに加担しないことは
少なくとも私にとっては自分や家族を大切にする
コミュニケーションになるんじゃないかな?と思うのです。

何を言っても安心できるような家族になれるといいなぁ

そんな一部員になれたらええなぁ^^
なぁーんてね。

また、長年家族で身につけてきたコミュニケーションは
家族以外での親しい関係でもやりがちですからね。

そうそう、今回の父との件も直接話しましたよ。
行けなくなった理由をきき、そして素直に
「残念!たのしみにしてたのに〜!」と伝えました。

後味わるくなかったです。

◆そのままにする勇気

怒り、不安や心配などの不快感は嫌なものですね。

できれば早くそこから抜けたいです。

ですが、抜けたい抜けたいと思えば思うほど、
不快は追っかけてきて気づくとそればかり考えてしまいます。

そこでやりがちなのが無理にポジティブになる、
良い解釈をする、
いいこと探しをする、
または、相手がいる場合は相手の立場を思いやって
「仕方ないよね」などと納得しようとする、
または自分の至らない所を探し出す、
または紛らわせる何かに逃げる、などなど。

これらが悪いとは思いません。

これをやって、心底「あぁ、すっきり!」となるならばそれも良し。

ですがこれらで不快に対処する癖がつくと
同じことが繰り返えされたり
または不快が長続きしたりするのではないでしょうか。

なぜそうなるんだろ?

それは肝心な作業が抜けるからだと思います。

肝心な作業とは
そのままにする勇気(いったん)です。

嫌やなぁ、腹立つなぁ、むかつくなぁ
悲しい、哀しい、不安、心配‥
不快をそのまま感じることをしてみる勇気です。

これってしてるようでなかなかスルーしがち。
大概がすぐに無意識に、違うもの、コト、
行動に変換するのが上手です(笑)

かくいう私も、元々はこれの上級者♪
意識しないとすぐやってしまいます。

ここでいうそのままにする勇気とは
ずーっと感じて耐えましょうという意味ではありません。

まず、そのまんま感じてみるという意味。

物事にはピークがあって不快にもピークがあります。

自分の中に生まれた不快や感情も
ひとまず認めてあげること。

または、それをそのまま認め安心して話せる人
聴いてくれるひとに話してみること。

または紙に書いてそうや!そうや!と思うこと。

そうすることで次にどうすれば自分が納得するか、
また相手がいる場合にはどう関わればいいか、
または距離をとるのかその他の方法か、
考える隙間が出てくるように思います。

うれしいとか、幸せなことを
そのまま感じ続けるのは勇気がいらないのにね

どんな感情も自分の持ち物。
「いったん、そのままにする勇気」を
持ちたいなぁと思います。

いったんそのままにする勇気が
自分を大事にする力になるね。