◆素敵な事務の先生

毎週行っているスクールカウンセリングの小学校で
素敵な事務の先生がいらっしゃいます。

いつも周りをよくみられていて
さりげなくサポートや声がけをされており
先生がいらっしゃると場が和み、ほっとします。

先日もお逢いしたのですが、私が保護者に電話をする際、
操作に戸惑っているとそっと隣にきてくださり
番号を押し終わるまでそばにいてくださったっけ。。。

なんだろな。
寄り添うとか、受容してもらうって
こういうことだなと温かい気持ちに包まれました。

そうそう、こちらの小学校の初勤務の日。
職員室に入るのにめちゃくちゃ緊張したのですが、
笑顔で迎えてくださり一言、二言、ことばを交わしただけで、
すぅーっと緊張が和らいだのも先生だったな。

それにしてもめちゃくちゃコミュ力高い!
非言語の態度や雰囲気で
かもしだされるものですよね。
雑談もお上手だし、尊敬。

学校って教諭だけでなく事務や、庶務、栄養士、給食の先生など
いろんな役割の方々の協同で成り立っています。

私がSCとして安心してお仕事が出来、業務に集中できるのも
事務の先生や先生方のおかげ。ほんと有り難いです。

◆将来、心理カウンセラーになりたい子との会話

数年不登校で、定期的にカウンセリングを受けてきた児童が
学校に来るようになったケースがありました。

親も、学校も、私もとても喜び
何より本人が嬉しそうです。

その子は、将来カウンセラーになりたいと夢をみつけたようで
先生みたいになりたいと言ってくれました。

ですが、登校にいたった理由はそれが主な要因ではありません。
なぜなら私が担当したのは今年に入ってから。

それまで、前任のカウンセラーや学校、親が子どもの心を守り
必要な教育をコツコツと働き続けてこられたこそ
いま、機が熟したのだと思います。

この子に限らずですが不登校の場合、家が安心の場であれど
特に気力、体力が回復してきている時期は
日々葛藤し、自問自答していることがとても多いです。

家から外に向かうにも段階があるし、
それを親や、学校、支援者は理解する必要があります。
本人以外がバラバラの価値観だとこれまたうまくいきません。

だからといって学校へ行くことが
必ずしも全てだともいえません。

「将来、心理カウンセラーになりたい。」
という児童に対して
「そのためには何が必要かな?」と
問いかけると、「修行!」とかえってきました。

そだね。
修行は必要だね。

知識や技術も必要だけれど
人と関わって、ありとあらゆる感情を
経験することは必須科目やなと笑いあいました。

学校に行かねばならない、
行きたくないから、
学校を修行のために利用するわ!という
晴れやかな顔は誇らしくみえました。

私も修行の身です。

◆3日坊主を克服する方法

三日坊主を克服する方法♪

それは、3日坊主を繰り返し更新し続けていくことです。

とりあえず3日だけやる。
また次、3日だけやる。
そのまた次も3日だけやる。

最初から続けようと思うから
ハードルが高くなってしまいます。

私の日課のひとつは毎晩、
散歩をすることですが
最初はこれではじめて
やがて習慣になりました。

またメリット(体重管理や健康)を
得られる美味しさで続いているのも理由です。

とりあえず5日だけ。
とりあえず10日だけ。
とりあえず1ヶ月だけ。

もともと飽き性ですが
継続をしたいものがある時は
この心の使い方を利用します。

◆感情移入して失敗したこと

人の気持ちを感じたり考えれる人って素敵です。
これまで自分はそんな方々に随分救われてきました。

一方で人一倍、他者の思いを組みとれる人は
その人自身が辛くなったり
エネルギーを奪われてしまうこともあると思います。

本来ならば相手と自分は違う個体のはずなのに、
気や心は見えないだけに境界が曖昧になりやすいですね。

また境界の曖昧さから自分だけでなく
人を傷つけてしまうこともあります。

昔、カウンセラーの勉強を初めた頃
この境界を引くことが課題であり、
なかなかに難しく、日々訓練でした。

その訓練とは、自分と相手の境界線を分け、
相手の気分にひっぱられない。
感情を想像しても、感情移入はしない。
いやはや、むっずー!!!

こうやって文字に起こすと難しいですね。

そんな自分が今は心理師になり
日々、入れ替わり立ち替わり
人様の人生物語や感情を伺っているわけですが、、

勉強を初めた当時も、今も
意識してやっていることはあまり変わっていません。

それは自分をよく観察すること
いわゆるセルフモニタリングです。

今の出来事で自分は何を感じた?
何を考えた?体の感覚は?

まず人ではなく自分に目をむける。
例え意識が自分以外に向いても、
その度に自分に戻して自己を観る。

これを普段から何度も繰り返すことで、自分は自分。
人は人と、境界がより濃くわかるようになっていきます。

コツは普段から意識すること。(なんでもない時も)
そして回数でしょうか。

プロだから出来るというより意識と繰り返しで
誰でも出来ると私は思います。

話しは、変わりますが去年プライベートで、知り合いから、
お子さんが10数年重度のアトピーで食べ物制限をしてきたことを聞きました。

それはもう壮絶で一時は心が病み、引きこもりになり
家族もまた10数年同じ食生活に
出来る限り合わせてきたことを知りました。

その時、私は込み上げる感情と共に
「かわいそう」と口にしてしまいました。

すると知り合いは
「かわいそうと言われることが子どもは1番辛かったです」
とおっしゃいました。
はっ!!!やってしまった。

想像して感情移入して、自分に起きているようにどこかですり替え、
更に「かわいそう」と言うって、どれだけ自分は上から目線なんやろ?

それに気づいたとたん
とても恥ずかしく申し訳なくなりました。

相手の立場や気持ちを想像し
相手を理解しようとすることは
大切にしていきたいことです。

ですが、必要以上に感情移入し苦しくなるのは
どこか無意識に相手の人生や
その人を尊重していないことにもなりかねません。

その後知り合いにあやまると、
「いえいえ。おかげで私たち親子はこれまでの経験で
心臓に毛が生えるくらい強くなれたんですよー‼️」
と笑顔で返してくださいました。

普段、心理カウンセリングしている自分がやっちゃった
猛省案件です。

でも人は完全ではないし、完璧にはなれない。
だからこそトライandエラーを繰り返し
私も引き続き意識、練習しつづけようと思う今ここです。

◆親しみやすさと、馴れ馴れしさ

勤めている小学校の昼休み時間に
給食の牛乳を手に持って歩いていると
ローカで高学年の児童4人に声をかけられました。

生徒「なんで牛乳持って歩いてんの?」

私「お腹いっぱいで飲めなかってん」

生徒「ふ〜ん。でもさ今日、暑いから置いといたら腐るで」

私「大丈夫!相談する部屋、冷房してるから。心配してくれてありがとう」

‥そこから、牛乳嫌いな人いる?
苦手な子は毎日どうやって飲んでる?
へぇ〜そら大変やなぁ、など、
たわいもない会話のラリー。

とはいえ、どの子とも話すのは初めてで
「じゃぁ、またね〜!」と
手をふって去る背中ごしに聞こえたのが、
あの先生、友だちみたいに話す人やな‼︎

笑!
通りがかった事務の先生も笑っておられました。

公私ともに意識していること。
その一つが、親しみやすさです。

親しみやすさと似て非なるものに
「馴れ馴れしさ」がありますが
似てるようでぜんぜん違いますね。

親しみやすさはあたたかい、リラックス、心地良いなど
互いにちょうどいい距離間ですが、
馴れ馴れしいは、入ってほしくない領域まで入ってこられたり、
聞いてきたり、自分本位や一方的なものも多い。

子どもに言われた「友だちみたい」が
親しみやすか馴れ馴れしさか、はて?

親しみやすさであってくれ~!

親しみやすさは、話の内容以上に
非言語の影響が大きいと思っています。
視線、声の調子、表情など。

そうそう。
今回は話しかけてきてくれたのは
子どもたちからでした。
初対面で親しみやすさを発揮できる
子どもたち、、素敵やわ。