◆「ちゃんと聞いているんですけどね」の落とし穴

「〇〇先生、全然話聞いてくれへん。。イヤや」
ある小学生が私に言いました。

先生は子どもに無関心なわけではなくむしろとても熱心。
ただ行き渋りもあり困っておられてたので、私から
「今この子に必要なのは、まず、きくことかもしれませんね」とお伝えしました。

ところが後日、変化はみられず、先生から返ってきた言葉は、
「ちゃんと聞くようにしてるんですけどねぇ。」とのことでした。

聞いてみると、以前よりさらに質問しておられたようで、
「先生なんでも聞くで!遠慮なく言いや」って。
グイグイーっと

ちゃんねん、ちゃうちゃう
その「きく」じゃないねん(心の声)

私の伝え方が足らなかったことに気づきました。

日本語にはいろいろな「きく」があります。

音を聞く。

話を聞く。

情報を聞く。

そして、相手の気持ちに耳を傾ける「聴く」。

私が提案したのは質問を増やすことではなく、
相手が安心していられるよう
その子の気持ちを想像し受けとる=待つ、聴くでした。

考えてみれば大人だって同じです。

しんどい時に、
「で?何があったん?」
「それで?」「ほんで?」
「何でも言うてみ」と続けられるとお腹いっぱい、、
事情聴取のように感じますよね。

必要なのは言わせるのではなく、
「話しても大丈夫」と思える安心感をつくること。

そのためにはあえてグイグイ聞かない。
見守る。

いったん、何もしないことを、する。
そんな「受け身」が必要です。

今回の出来事を通して、「聞く」という言葉の奥深さと、
伝えることの難しさを改めて感じました。

私自身、もっと丁寧に
「聴く」「伝える」を心がけたいと思います。

◇母である前に、人間ですもんね

毎年、母の日になると息子に
「なーなー、今日は何の日?」と
自ら言いにいく私ですが
今年は言いませんでした。

母になり27年、ようやく大人になりました。

ところで、心理学の言葉に
グレイトマザーという概念があります。

文字通りグレイト=すごい、偉大なと言う意味です。

ですが物事は表裏一体。
表があれば裏があり長所であれば短所にもなりうる。

グレイトマザーも、素晴らしく偉大な母という
意味の裏に良いも悪いも子への
影響が大きいと言う意味も含みます。

ー影響についてー

例えば、「あなたのため」と言われ続けた子は
・相手を優先しすぎる
・人との距離間がわからなくなる
・依存心が強くなる
・自分で決めれない
など、もちろん全てが親のせいではありませんが、、、

ただ私たちが最初に出逢う
人間関係から、自分の存在認識や
人との関わりを学ぶのも事実ですよね。

心理カウンセリングをしていると
親子関係で悩んでおられたり
幼少期の影響で大人になっても
生きにくい、自己肯定の低さ、承認欲求の強さ、
人間関係がうまくいかないなど
生き辛さを抱える人に沢山お逢いします。

あ、人ごとではありません。
私もその中のひとりでした。

時を経て、大人になって今は一緒におらずとも
心の中の経験や時間はカンタンに切り替わり癒えるわけではなく
傷や空虚感、痛みになり残ることは珍しいことではありません。

もし今生きづらい特に身近な人間関係で
いつも同じパターンでつらくなることがあれば
一度、心の中の過去の養育者との関係を
振り返り、子どもだった自分は
何を言いたかったのか、本当は何を我慢していたのか
どんなふうに愛されたかったのかを
見つめてみることも回復の一歩になると思います。
(安全な場でね)

そしてそんなあなたが今、親になっているならば、
完璧な良い母になろうとしなくていい
「お母さんだから、、」と
自分を縛らなくていいと思います。

私はわたしでいい
あなたはあなたでいい
母である前に、子どもである前に、
人間ですもんね。

ってね。
毎年母の日にクレクレ星人になる
どの口がゆーてるんやって話しですが指差し
それがですね!!!
今年は机の上にプレゼント置いてありました。
中身はオシャンな冷風機でした。

やっぱ現金なマザー。
人間だもの、ですね(はい実践)
わたしを親にしてくれてありがとう!

◇まず動く•環境を変える•書き出す。それだけで気分は戻る

ある日の休日、
朝起きるといつもより気分が落ちていました。

自分にとって気分のフラットが
ゼロだとしたら、マイナス1.5くらい…

仕事や研修の緊張、プレッシャー。
家族に対しての不安や心配ごと。
自身の将来に対して気がかりなこと。

せっかくのオフなのに
モヤモヤしてなかなか体を
起こせませんでした。

あかん!
このままやと気分温度下がる!

意を決しえいやっと勢いで顔を洗い
パパパと着替えサブウェイへ
モーニング間に合ったー!

ゆっくり味わってコーヒー飲み
とりあえず今の頭で考えてることを
メモに箇条書きにし、
今日何するか優先順位をつけていたら、
気分がゼロに戻ってきました。

まず動く
環境を変える
出す(書くなど)

気分が落ちた時の付き合い方
整え方は色々あります。
自分時間、充実させましょうね。

◇出逢いと別れの季節に思うこと

学校現場で一緒に働いていたAさん。
近年人間関係のしんどさから
心身に不調をきたし一時期お休みされていました。

周りによく気がつき困っている人にとてもやさしく
細やかな配慮ができ曲がったことが嫌いな方です。

そんなAさんだからこそ人の様々な側面に気がつきすぎて
人によって態度を変える人や立場で圧や力が強い方が苦手で
徐々にしんどくなられていきました。

Aさんは嫌なことを嫌と相手に言えない。
だけでなく、自分の内側でもイヤ、キライを認めるのに
抵抗があり苦しそうでした。

心身を休め、環境調整をおこない、復帰されて1年。
今はすっかり元気になられた年度末です。

先月は、私が大量のコピーに追われパニクってたら
サクサクお手伝いくださったり、それに限らず常日頃から
誰にでもにこやかであたたかい対応してくださる姿に
私自身たくさん助けられてきました。

心と体のつながりは正直。
内面と表情は連動してる。
ピンチから何を学び未来に活かすのか。
受け身から主体的な生き方へ。
自分の気持ちをまず認めていこう。

Aさんがこれらを体験し少しずつ回復していかれた過程は
私にとっても貴重な時間でした。

春からは別々の現場での仕事になり寂しいですが
それ以上に出逢えてよかったと思います。

春は出逢いと別れの季節。

人は経験を糧にして前に進んでいく力を持っている。
そう信じられる出逢いでした。
出逢えて本当によかったです。

◇正解はひとつじゃないと感じた学校現場から

ここ1年を振り返ると
約1000件強のカウンセリングを行ってきました。

またSCとしては多くの児童、生徒、ご家庭、
学校と関わらせてもらいました。
その中で今も濃く印象に残っている出来事があります。

不登校になりかけていて家では強い反発が繰り返され、
長時間ゲームにのめりこんでいたある小学校高学年の事例です。

学校や担任と連携し保護者へは心理教育を行い、少しずつ、
自分の気持ちや欲求を安心して出せるよう、
受けとめる環境づくりや生活リズムを整える支援を行ってきました。

正直、簡単な道のりではなく「これ合ってるかなぁ」と
心の中でつぶやく日もあったな。

そんな矢先、保護者が医療機関を受診されたのです。
医師からは「今は子どもの要求を全て受け入れてあげてください」
「やりたいことを、やりきらせてあげてください」
という内容の説明があったと聞きました。

正直、言葉に詰まりました。
この考え方そのものを否定したいわけではありません。

人育てや支援では「受けとめること」「待つこと」が
大切な場面、タイミングは確かにあります。
ただどうしても違和感が湧きました。

ほんまに今だけみていていいんやろか?

依存が強く、感情や欲求が満たされないと理性を保つことが難しい。
反発反抗が激しくなる状態で、行動を容認することは
この子の「これから」にどんな意味をもつんやろう?と。

依存、ゲーム依存は今や医療や心理の分野でも
慎重に扱われるテーマです。
特に小学生は脳も心も発達の途中にあります。

その時期の関わり方が身体の感覚や自我の形成、
人との関わりに影響を与えることは想像に難くありません。

医療、教育、心理、家庭。
それぞれに役割と専門性があり、各々視点があります。

だからこそ「どれかひとつが正解」と決めてしまうことは、
場合によっては危うい方向へ繋がる可能性があるんじゃないかと感じました。

自分は公認心理師として支援を行なっています。
公認心理師の分野は医療、教育、福祉、司法、産業の5領域。
私の今は教育分野を中心に仕事をしています。

現場にいて度々感じるのは支援は
ひとりの専門性で成り立つものではない、です。

医師も、教師も、心理師もそれぞれの役割と限界があります。
医師だからといって万能ではない。
私自身も同じです。

法律上、公認心理師は医師の指示に従う立場にあります。
その枠組みの大切さも理解しています。

ただ現場で子どもを見続けていると指示として出されたことと
「この子の今」に必要なことがどうしても一致しないと感じる場面もあります。
今回はそんな難しさに向きあう時間になりました。

こたえが簡単にでないからこそひとつの考えや一人で決めず
立場を超えて話し合う、協働する。

その積み重ねが必要だとおもう。

私が以前学校で行った心理授業のテーマは
「コミュニケーション」「コラボレーション」でした。
子どもだけでなく 私たち大人もです。