◆自分の子どもと、教え子の違い

子どもの先生をしている方に
「自分の子どもと、教え子の違いは何ですか?」と質問を受けました。

違い???

即答できませんでした。

そんな風に考えたことなかったなぁ。

でも、よくよく考えてみると私にとって、昔の教え子の中には
我が子と同じような気持ちになっていた生徒がいます。

我が子を育てた時に思いました。
あれ?同じや、、って。

全部が全部ではありません。

我が子と同じように感じていた生徒たちには、共通がありました。

それは担任を持った1年は
一緒に過ごした時間が長かったこと(実際の親以上に長い)。

先生に成りたてで、がむしゃらだったこと。

子どもを通じて、特に手がかかる子たちは
(自分が未熟だったのは多いにありますが)
自分の嫌な部分とか、見たくない部分とか
知らない部分を目の当たりにするので
悩んだり喜んだりが深かったこと、でした。

私にとっては、当時は新米ということもあり
気持ちの休み場がなく子どもに関わっていました。

マジメだったんでね。
振り返ると、感情移入し過ぎだったなと思うところも多々ありますが
我が子に限らず人の成長にかかわることは自分を省み
成長する絶好の機会になると思います。

ただ、今になっては先生の立場は親と違って
客観視する目や距離感は大事だと思います。

それぞれに役割があるから。
中立的に客観的にみて関わることや
親の力になるというのは先生の役割だと思います。

◆他人に頼られることで自分の力を確認する人

場面や状況にもよりますが
私がいなければあの人はやっていけない。

大変、大変、と言いながら相手のことばかり頭にあり
自分のことは後回しでいつも慌ただしく動いている、、、

一見、とても大きな愛のように見えますが
親子であれ、夫婦であれ、友人であれ、セラピーであれ
上記のような関わりは「共依存」という病的な関係であり関わりです。

なぜなら、お世話する人は他人に頼られることで
自分の力を確認しているからです。

そうすると、いつまでたっても相手は自分のことが自分でできず
また、お世話する人も実は自分から逃げていることになります。

互いに自律、自立できず
常にどこか物足りない生き苦しさを抱えています。

また、本来の自分の能力や自分らしさを発揮できず
非常にもったいないことです。

恋愛などでは特に顕著に現れやすい。
つくす女はキケン(笑)ですね。

特に日本では「共依存」は当たり前で
自分のやりたいことをやって生きる人や、発言することは
「自分勝手でギスギスした人」と見られがちです。
その常識が生む心の病気は本当に数多く存在します。

繰り返しますが、共依存は特別ではなく
誰の中にもある、誰にでもある病理的な心の状態。
そして人との関係。

それに気づいた人から「一抜けた!」をすることは
自分や相手だけでなく、地域や社会をも健康にしていける愛の関わりです。

人間関係でツライ
離れたいけれど離れられない
いつも振り回されてしまう

そんな方はカウンセリングという方法だけでなく
心理学を学ぶことで客観的に自分と相手との距離を見直し
関われるようになります。

ご興味のある方は
まず体験にいらしてください。

◆裸足で画鋲の上を歩いていたような時代に出会った命の恩

私には、命の恩人が2人います。
そのうちのお1人に、数年前久しぶりにお逢いする機会がありました。

私が心の病気で1番しんどかった時代に出逢った方です。

当時は、鬱病や神経症、依存症、摂食障害、睡眠障害など
病気のオンパレードでした。

その方は病院の先生ではありませんでしたが
しょっちゅう私の話や心の声を聴き続けて下さいました。

そのおかげで数ある病気の症状は数年かけて改善されていきました。

子どもたちの先生をやめて
心理カウンセラーの世界へ踏み出したのも
その方との出逢いがなければ
今の生活はなかったかもしれません。

数年ぶりにお逢いした時
あらため、すごいと思ったことがあります。

それは、私は病んでいた当時も今も
根底の関わりが変わらないということ。

私ことを、かわいそうな人と見下すことがなく
助けてあげなくちゃ!応援してあげなくちゃ!でもなく

あなたは、あなた。私は、私。
あなたは大事な存在だよ。

という心姿勢で関わり続けて下さったのです。
関わり方や空気感は変わらず全く一緒。

たわいもない会話から、昔話や近況報告まで
あっという間の時間でしたが
何度も嬉し泣きしそうになるのをこらえました。

私はお礼をいうと
その方は必ずこう言います。

私の力じゃないよ。
あなたの力でよくなったんだから。

サラ~ッと言う。かっこいい。

良くなってからはお逢いすることは殆どなくなりましたが
便りがないのは元気な証拠と思って下さっています。

一時期の私はいつ自死してもおかしくない状態でした。
それを振り返りながら

当時、自ら裸足で画鋲の上を歩いているような
あなただったよね。
自分より人のことばかりで空っぽだったね。

とおしゃっていました。

あの時があったから今がある。
人の心の力はあらゆる可能性を秘めている!

そう、身をもって学べた時代を今は誇りに思っています。

家族でもない私に、無条件の愛情をかけつづける
心の在り方を教えてもらいました。

私は私、あなたはあなた。

良い時も悪い時も誰かや何かと比べない真の愛情は強い。

一見、冷たく見える時もあるかもしれませんが
人は本来だれにも自分のかわりはしてもらえません。

心理カウンセラーとして
こうしてして
なら結び代表として
1人の人として

これからも「生きる」を
愛していきたいと思います。

◆やりたいようにやりなさい、の意味

やりたいようにやったらいい、とか
やりたいようにやりなさいと言われることがあります。

自分らしく、とか
ありのままに、とか
もっと自由に、とか
あちこちで耳にします。

心理カウンセリングを受ける方も
そこを目指す方は少なくありません。

しかし、これまでずっと
何らかの形で我慢をしてきてしんどかった人が
この「やりたいようにやっていい」の解釈を間違えると
満足感どころか、逆に自虐的になってしまうことがあります。

以前習っていた歌の先生と「やりたいようにやる」
について話をしたことがありました。

先生と「やりたいようにやる」っていうのは
いつでもどこでも本能のままにふるまうことじゃないよね
と話していました。

歌の先生は私から見ると憧れるくらい自分らしく
自由でやりたいように素直に生きている方だと思う一人です。

また別の日、ポスターに書かれている
キャッチコピーが目に入ってきました。

【ルールがあるから自由になれると思う】

「やりたいようにやろう」の自由は
どんな環境の中でも、どんな制限があろうとも
自分で自分の心を決めていく自由と選択力だと思います。

本能のままに傍若無人にふるまうのは
やりたいようにやるの自由ではないと私は思っています。

なぜなら、やりたいようにやった結果は
全て自分にかえってくるから。

一人で生きているわけではないから。

やりたいようにやろう!には選択と自由と結果が伴います。
やりたいようにやりましょう!

◆自分の荷物は自分で持って!断れる人になろう

「これ、お願い!」
「ちょっと手伝ってくれる?」と頼まれることがあります。

以前の私は、それが少し大変でも
本意でなくもて「いいよ」と請け負うことが多々ありました。

更に頼まれてもいないのに、手伝おうか?とか、
こうしたら?こんな方法があるよ、とこちらかた教えていました。

よく言えばお人よし。
逆を言えば余計なおせっかい、お世話好きでした。

心理カウンセラーになって会社に勤め
独立しなら結びで事業をスタートしてからは
随分減りましたが、それでも長年の癖は反応しやすくなります。

純粋に人の助けになりたい!という気持ちもありますが
根底には、よく思われたい!手助けしないと私の心配、不安が
勝っていることがあるから請負やすいと自覚しています。

そして、何でも首を突っ込んでやることが
本当に相手や周りにとっていいのか?どうか?
それはNo!だと今は思っています。

何故なら、人のことやっている時は
自分のことが後回し、お留守になりますからね。

基本、自分のことを出来てこそ
人のことに目を向ける隙間や余裕が出来るのであって
心理カウンセラーや講師業をしているからこそ
順序間違えないようにしなきゃなぁ〜と
ヒヤッとすることがあります‥‥自分に。

何でもかんでもイエスではなく断ることも大事。

仕事であれ、プライベートであれ
断ることも自分を人を大事にする行為だと
今は思っています。

みんなそれぞれが、まず自分の荷物を
自分で持てるようになればいいんだよね。(by恩師からの教え)

それを可能にするためには、個々の基準を持つことだなぁと
つくづく思う今日この頃です。