◆なぜ学び続けるの?「カウンセリングの行方」

カウンセリングの最初には
必ずどうなりたいか?のすりあわせをします。

人目が気にならないようになりたい
心因で体にでている症状を緩和したい
自信をつけたい
人付き合いをよくしたい、など。

相談者さんによって異なりますが
私(カウンセラー)は
どんなケースにも一貫して揺るがない
信念、軸を持って関わります。

それは悩みや目標の大小や量や程度
頻度には関係ありません。

それは、今がどうであれ
本来の心力を発揮できるようにすることです。

なんでこうなっちゃうんだろう?
ということには必ず原因があり

どうしたらよりよくなるんだろう?
には必ず方法があり

そのためにカウンセリングや心理学を
学ぶことは頼もしい味方と支えになってくれます。

そして、カウンセリングや心理学を学ぶことは
実は補助でしかなく、それらを通して
自分という人間から学ぶということが出来るよう
サポートしたいと思っています。

学ぶことに終わりはない。

なぜなら「学び=生きる」だから。
学びは愛だと考えています。

学んだことは一生もの。
私も共に学び続けたいと思います。

◆人の死は怖いのに自分の死は怖くない矛盾

カウンセリングをする中で
「命」に関するテーマが重なったことがありました。

そこで思い出したのですが
10年近く前の自分は「死」が怖くありませんでした。

達観してるわけではなく、やりきっているわけでもなく
ただ自分の「死」に感情がわかなかったのです。

ですが、家族や好きな人たちの死を考えると
また報道などでやるせない死を目の当たりにすると
哀しさや寂しさ、恐怖が湧き起こり涙がでました。

人の死に涙を流せるのに
自分の死には鈍感。

変なの。

心のケアをするようになって
人様の心に添う仕事をするようになって
その矛盾の根がわかりました。

自分の命を軽んじてた。
自分を愛せてなかったんだ。

今、死を想像すると怖いです。
自分がこの世からいなくなってしまうことが寂しいです。

後悔や未練などとは違います。

人の命も自分の命もなくてはならないものなんだ。

好きとか嫌いとか、合うとか合わないとか
そんな次元ではなく生きてるってすごい。

そんなことを思ったのでした。

今日もすぐそばにある
しあわせをたくさん味わえますように。

◆トイレを綺麗に保つ効果的な貼り紙

命令されたり、上からものを言われるのは嫌なものですね。

最近はあまり遭遇しなくなったものの(環境的に)
誰かに言われた際は「はーい」と言いつつ聞き流したりもします(笑)

公衆のトイレの張り紙でも
効果のある文言と効果の低い文言があると言われます。

例えばこちらの3種類。

(1)トイレを綺麗に使いましょう → 促進

(2)トイレを汚さないで下さい → 命令

(3)綺麗にお使い頂きありがとうございます → 未来を示唆して感謝する

この3つで1番効果があるのは、(3)だと言われ
心理学的効果が働くと言われます。

(3)と他2つの違いは何か。

それは『自主性を促されている度合』ですね。

どんなに正しいことを行っても
相手が自分で、やろう!変わろう!と
思わなければ変わりません。

「何回言ってもなんでわからんの?」と
残念に思うことがあるとしたら
こちらの声のかけ方や上から目線の投げかけを
無意識にやっていないかどうかと振り返ると
案外やってたりするんですよね。

無意識多し。
気をつけよ。

そんなことをトイレを掃除しながら思ったのでした。

◆アートセラピーの効果

カウンセリングでアートセラピーの
絵画療法を使う時があります。

話すのが苦手な方や、思いが言葉にまとまりにくい時
または、とにかくスッキリしたい!という時
アート(絵を描く)を使うと効果が期待できます。

とはいえ絵を描くのは苦手だわ
ムリムリムリ、、、という方もいらっしゃいますよね。
絵はハードルが高いと思われる方もいらっしゃいます。

大丈夫。
カウンセリングで使うアートセラピーは

「きちんと描く」
「技術やセンスを問う」
「うまく描く」

これらは必要ありません。

極端にいうと、やみくもに線を描く
これだけでもアートセラピーの意味があるのです。

アートセラピーを使う効果は
・潜在意識が現れやすい
・スッキリする(カタルシス効果)
・能力開発につながる

やってみると意外な自分に
出逢えることがたくさんあります。

選ぶ色や描く形、どこに描いているか、どう描いていくか
それそのものが自分のまんまです。

ご興味ある方は、ぜひ心理カウンセリングを
体験にしにきてくださいね。

◆母との言い争い

ある日、実家のことでバタバタしていた時に
母と言い合いになりました。

母も私も疲れがたまっていたのだと思います。

家族みんなで決めたことを具体的に準備していると
そのやり方が気に食わなかった母は私に一言叫びました。

『あんたは、もう家の子ちゃんねんから』

ブチ。頭の中で何かがキレた音がしました。

・・・じゃあ、勝手にして。

「家の子」と言う意味は「姓」が違うという意味です。

ここでキレるのは賢明ではない
売り言葉を買う必要はない
いつもとは違う状況やん

そんな理性は自動的に吹っ飛ばされました。

ただ、その場にいてはいけない!

それだけは、これまで培ってきた経験と
普段からの意識と行動が後押しし、すぐ実家を離れました。

それから1ヶ月。

どうしても母の一言を心から「なんともない」には出来ず
引きずりながら表面上のやりとりや、やるべきことをしていました。

それだけ傷ついたんです。

言っちゃいけないこと
言われたくないこと

人によって違うでしょうが
あの一連の日々の中では刺さりました。

あれから実家の父だけでなく、夫の父も体調を崩し、
実家だけに目を向けていられない状況に遭遇しました。
(現在は2人とも落ちつき大事にいたっていません)

母は悪いと思ったのでしょう。
それから妙に気遣い優しい言葉をかけてきました。

私は頑固なもんで
ふん!「そんなんしてもカンタンには変わらんで」
と意地になってました。

騒動後、久々に実家で皆揃って顔を合わせた時
波を打っていた感情はおさまっていました。

それはある結論に達したからです。

誰がなんといおうと
わたしは私
どこの子とかどーでもよくない?
もうええやん。

そこにたどりつきました。

インナーボンディングをし、自分と対話して本当よかった。
(この方法はアダルトチルドレン回復講座で学んで戴けます)

1ヶ月かかりましたけど。
早いほうです(←当社比)
必要な時間です。

その場をパッと離れたけれど、
自分とは離れなかった自分によくできました。