◆時間枠がある時〜ない時〜

月に1回〜2回
近所のマッサージに行っています。

コースは30分以上15分刻みで
いつもは60分か75分を利用し
当日に予約できるところ
夜中までやっているところ
また指名ができる所が気にいっています。

指名するのは女性のMさん。
口数少なく(あたりまえか?笑)
丁寧でそっと触れられますが
必要な所は力をいれてくださいます。

難点があるとしたら
ほぼほぼ熟睡して気持ちよさを
覚えてないところかな。

そんな至福時間ですが毎回コリが
全てとれるわけではありません。

コリが100だとしたら
ある日は40残、ある日は30残の時もあります。

Mさんはいつも
「おつかれさまです。無理なさらないように。
また必要ならお越しくださいね」

と最後に背中をさすり
軽くパンパンしてくださいます。

コリはとれなくても気持ちが和らぎ
またがんばろうとリセットされます。

きっと全てのコリをラクにするには倍時間?
いえ半日、1日?以上かかるかもしれません。

それでも決められた時間で終わることに
意味があると思っています。

これはマッサージだけでなく
カウンセリングにいえると思います。

私の心理カウンセリングは
50分という枠を決めています。

人や日によっては、
モヤモヤが残ったまま終わることもあれば
一回でかなりスッキリ感を味わえる場合もあると思います。

それでも枠をひくのは日常と非日常の境界をひくため。

守られた安全な空間を体験することで
日々の営みに休息を与えリセットするため。

自分で自分をケアしたりストレスや問題に対処できる根本力を
徐々につけていくためであります。

これが「お疲れですね〜じゃぁ今日は
2時間以上カウンセリングしましょうか?」

と日によって変わると、枠があいまいになり
どこまでが日常なのか?自分の力なのか?
カウンセラーの手助けだけでラクになってるのか?
わからなくなります。

枠内は完全でなくとも
今の最善をせーいっぱいほどこす時間。

その積み重ねが長い目でみると
自分の心力を柔らかく
臨機応変に使えるようになっていきます。

◆受容が、症状を悪化させる場合もあります

カウンセリングは受容、共感が土台ですが
場合によってはそれにより
症状の悪化に繋がる時があります。

例えば、無意味だとわかっていても
繰り返す強迫観念や
強迫行動をしている方へ関わる場合。

繰り返し手を洗ったり
確認したり、考えたりなど

「つらかったね」と受容する対応が
「わかってくれた!」と一時的な安心にはなりますが
それを求めるために更に行為をくりかえし
不安を解消の確認行動がエスカレートすることになります。

これは強迫神経症だけに限りません。

そのままでいい
あるがままでいい
わかってくれる

という関わりが本人の苦痛を
より強化する場合があり
周りへの影響も二次、三次とひろがることもあります。

つらい、やめたい
苦痛だ、ラクになりたいと思いながら、
人に相談し安心を求めながらも
なかなかやめられないのは
それ自体が「やりたいこと」になっているからです。

誤解を恐れずに言うと個人的には
それを本人が選ぶなら
それも人生だと思っていますが、
私の技量や知識不足で
そこに加担するようなことはしたくありません。

自分にとって難しいと思える事例は
不足を認め見極め、専門家を紹介する、
または専門家に助けてもらいながら学びながら
カウンセリングをしていきたいと思っています。

もちろんこれまでどおり「今できることをする」
そして「心」や「人」への興味や好きという気持ちに
揺るぎはないんですが。

それ自体がやりたいことだからだね。

真の受容って奥深い‥

援助者であり、クライアントであること。
これも「援助者」に必要な姿勢のひとつだと思っています。

◆声や音の発信意識で心を整える

みる、きく、感じる

感覚機能のどこかが遮断されると
その他のパーツがより敏感に働くことがあります。

例えば電話カウンセリングだと
視覚が遮断されるからか
普段そこまで意識しない声に
より敏感になります。

「声は人の内側からでてくるものだから
 その人そのものですね。」

以前、お世話になっている方が
おっしゃっていました。
なるほどなぁと合点がいきました。

脳波の主な4つの波長を
緊張 → 緩和順にならべると、

β波(ベーター)
α波(アルファ)
θ波(シーター)
δ波(デルタ)となりますが

電話カウンセリングをしていると
脳波と声の波長は連動しているなぁと実感します。

とはいえカウンセリングに限らず
普段でも声は人に影響を与えあう
波長、コミュニケーションそのものですね。

また自分の声は一番近くの自分が聞いているので
出したものが速攻返ってきたりします。

どんな言葉を発するか?もですが
どんな声=音を出しているのか
案外影響を受けていて心を整える手助けには
音を意識することもひとつです。

リラックスしたい時は意識的に
柔らかいα波の声や音を
ちょっとやる気を出したい時は
それなりに、、β波をあげてこ(笑)

そんな風に
声の波長を意識できるといいですね。

◆傍観者効果

先日、近所で夜中にあった火事の時
外に飛びだしたのはウチだけでした。

消防車が4台、救急車1台、パトカー数台
きていたにもかかわらずです。

あとは比較的遠くの人が
遠巻きに出てこられていました。

もしかすると気づいてないのかもしれませんが、
真夜中だったから?パジャマだから?
雨戸を閉めっぱなしで聞こえにくかった?
年配の方が多いから?
うーん。。なんでやろー?と気になり
家で話をしていました。

社会心理学に「傍観者効果」という概念があります。

1960年、アメリカで起きたキティジェノバー事件が有名で
白昼の街中で強盗に襲われたキティが悲鳴をあげ、
一旦は逃げた強盗でしたが誰も助けないことを見て戻り
何度も刺してキティは亡くなったという事件でした。

その時悲鳴をきいたもの、窓から様子をみていた人は
何十人もいたにもかかわらず
誰も警察にさえ通報しなかったそうです。

ひどい!冷たい!一見そう思いますが
必ずしもそこの住人たちが
冷たく無関心だったわけではありません。

人の心理は「場の力」の影響を受けると言われます。

<多元的無知>
誰もしていないから自分もしなくていいという錯覚

<評価懸念>
人目が気になる

<責任の分散>
誰かがしてくれるだろう

アルアルや、、、人のこといえません。

話は違いますが
「どうしてここまでヒドイいじめになったんだろう」
という時にも「傍観者効果」が働くと言われます。

いじめ問題に取り組む時は被害者、加害者、
聴取者(はやしたてる人)、傍観者の4役割でみていきます。

誰もがそのどれかになりうりますね。

今回の火事は大きな被害になりませんでしたが
自分も場を変えれば傍観者になることを
なってきたことを考えさせられました。

もしこれからもこのような機会に遭遇した時は
例え、出ていっても具体的にどうしてほしいかを
周りに呼びかけるなど意識したいと思います。

といってもその場になるとなかなかね
だからまず自覚するところからだな。

人の心って多様で集団になると
また働きが変わるのも自分です。

◆人と似たような経験の「あるなし」から思うこと

人と同じ、または似たような経験をしたからこそ
わかることってありますよね。

たとえば病気や怪我、入院
または挫折や失敗、浪人とか

あ、それだけじゃないや
何気ないことや、いいこともありますよね。

じゃぁ、同じ経験をしていないと
人の気持ちや立場がわからないか?というと
そうでもないと思います。

同じような経験をしたからこそ
想像しやすいってだけで
「自分=相手」ではないと思います。

どんなにがんばっても男性が子どもを産めないように
どんなに願ってもあの人と自分が入れ替われないように
不可能なことは世の中たっくさんあります。

同じような経験をしていなくても
相手を理解することができるには
想像力を働かせること。

そして、その想像力の発揮には
これまでどれだけ心を使ってきたか
少なからず経験値が影響すると思います。

今の経験が未来の自分のためだけでなく
誰かの助けになるかもしれない。

また、それがまわりまわって
自分にかえってきて、更なる幸せや
助けてもらえることになるかもしれない。

どんな経験も沢山心を使って未来の豊かさに
繋げるチャンスになる。

カウンセリングを通じて日々感じることです。