◆将来に不安がないという、息子から教わったこと

「あのさ、将来について不安になる時あるん? 就職とかさ」

大学生の息子に聞いてみました。
順調にいけば来年卒業、就職のはず、です。
(聞いた理由はその時、私に不安なことがあったから)

う〜ん(しばし無言)

そして、口から出たのが
「不安って何? 何についての不安?」

あらま、質問返し!

ですが、その直後の彼の言葉に
ハッとさせられました。

「不安はないよ。
いつも不安にならんように動いてるから」

へぇ〜!
不安にならないように動く?!

例えば、仕事(今後の就職)でいうと
彼は今まで、幾種かのバイトを経験してきましたが
何をやるにしても2つを意識していてたそうです。

1、どこで働いても、そこになくてはならない人になる。

2、なんらかの理由で辞めたとしても
その場で得た技術や知識を
他で使えるよう学んだり身につける

ほぉ〜あんた、すごいな!
逞しいなーと思いました。

彼自身バイトであれ、人や外、環境基準で
動いていないんでしょうね。

話しをきいていてその時、自分が
なぜ不安にかられていたのかわかりました。

不安になること自体悪いことではないし
いたしかたない時も多々あります。

ですが不安を予防する、
または不安だからこそ、気づけること
得られること、そこから意識や行動次第で
変えていくことも出来るんですね。

うんうん
身近な師匠を見習い動きます。

◆元気の秘訣「なんとなくをスル〜しない」

「体の声を聴く」

コロナ禍になって丸2年以上
生活も、習慣も色々と変わり
日常では体に耳を傾けるようになりました。

体調が良くない方へ行く時って
必ず体がサインを出してくれます。

なんとなく、寒いゾゾッとする

なんとなく、喉がかゆい

なんとなく、肩が張ってる

なんとなく‥

これを無視すると
えらいこと(悪化)になる気がして
気のせいであろうとなかろうと
その時点で対処するようになりました。

ゾクッとするなら着込む、温める
→ 着込む、湯たんぽする
(特に三首温めるー首、手首、足首)

喉がかゆければハチミツ(非加熱)なめて
タオルやマフラー巻く

肩が張ればお風呂で長めに肩を温めたり、
ゆたぽん肩用をレンチンしてかぶる

葛根湯をのむ

早めに寝る、など

もちろん、手洗いうがいは小まめにですね。

体だけじゃなく心にも言えることですが
「なんとなくをスル〜しない!」

もうこれ、ほんと大事‼︎

体や、心の声に耳を傾け元気で過ごせますように。

◆陰陽バランス

ある日、お金(お財布)を盗まれる夢を見ました。

ドキッ!
速攻、夢占いをググりました。

占い的には悪い夢ではなく吉夢だったようです。
確かに起きた時の気分は悪くなかったし
落ちついてもいました。

夢は色んな解釈が出来ます。

スピリチュアル的には予知夢や暗示など。
心理学的には夢の中の登場人物が
全て自分自身であり
潜在意識の現れであるという解釈。

そして、夢であれ現実であれ
陰陽バランスだなとも思います。

2021年は公私とも例年以上に際立った「陰陽」を見聞きし、
体験し、そこから学んだ一年でした。

例えば世の中何故こんなにいい方が酷い目に合うのか?

影ながら人のために尽くしてきた人が理不尽な目に遭うのはなんで?

お世話になった人に恩を仇でかえす、
騙し続けるそれで平気なのは何故?

中には冷静に俯瞰できないものもいくつかありました。
ですが今、それらを振りかえると
どれもこれも「陰陽」にあてはめるとしっくりきます。
(気持ちの納得はできないけれど)

悪人がいれば、善人がいる

騙す人がいれば騙される人がいる

なんだ、そかそか、シンプルじゃん!

とは、ならないですが。

少なからずとも自分もまた陰陽のどちらかを担い演じ、
そして日常は大なり小なり陰陽で造られていることを知る一年。

そして例え、遭遇したとしても振り回されないためには
陰陽バランスを取る力をつけていくこと。

そのためにはやはり「内観=セルフモニタリング」
自分を知ることだと思います。

夢があれば、現実があり
生があれば、死があり
健康があれば、病気があり
朝があれば、夜があり

それぞれのバランスを
整える内観力(セルフモニタリング)を
発揮していけますように。

◆無償の愛、無条件の愛

カウンセリングで
「無償の愛、無条件の愛をもらえたか、否か」が
話題になることがあります。

特に親子関係で多いテーマです。

「無償の愛、無条件の愛を貰えなかった」

人によってはその経験が後々の
生きづらさに繋がることは少なくありません。

ですが無償の愛や無条件の愛を
親から貰えていなくとも
その人がこれまで、誰からも貰えていないかというと
イコールではないと思います。

何故なら無償の愛を貰えていないと思うのは、
「在る無し」を比較出来るからで
「それ自体を知っている」からです。

ほんっとーに一度も貰ったことがない人や、
経験がない人は、きっとそれすらわからないよね。

私はかつてドン底だった時
関わってくれた心理カウンセラーから
無償の愛、無条件の愛を感じました。

そういうと
「お金を払って受けてるのに
無償の愛や、無条件の愛とは言えないでしょ」
と言われた方がいましたが、
いーや、ちがうんだな、これが。

なぜなら「無償の愛=あるがままの需要」だから。

そもそも「対価のあるなし」と
無償の愛を、無条件の愛を比較している時点で
条件をつけて見ていますものね。

とはいえほしい相手から
望むものをもらえないことは
とても辛いことです。

ですが「無償の愛」や「無条件の愛」をくれる相手は
1人や一つではないのも事実。

無償の愛、無条件の愛と共に
カウンセリングに臨みたいと思います。

◆障害を持って生まれてきた親戚の子と、パパママから教わったこと

親戚に障害を持って生まれてきた子がいます。
とても稀な病気で何十万人に1人の確立だそうです。

ですが今、その子のことを必要以上に心配になりません。
また、年々、心が痛むことが少なくなりました。

とはいえその子と逢うまでは
他人や、他人のお子さんに関わった時に
それが起きることがありました。

正直言うと自分が出産した20数年前は
「どうか障害を持たずに生まれてきますように」と願い、
生まれたばかりの我が子をみて確認している自分もいました。

そんな自分が、血縁者にそう思わなくなったのは
その子と、パパとママからの影響を大きく受けたからです。

パパとママは、我が子の障害に驚き
ショックは受けましたが悲観しませんでした。

神様、仏様に祈りその時々出来ることを
せーいっぱい取り組んでこられました。

ママは、0才の病院生活時、子どもの命が助かったら、
「一年間、動物を食べるのを自粛します」と祈り、
自分に誓われ、実際数年後実行されました。

一方パパは、元々のんびり屋さん。

「大丈夫、なんとかなる」と楽観的で
ママが食べたいものを必死で我慢していても、
肉や魚をパクパク食べてた(笑)‼︎

ですがいつも我が子に
「可愛い、可愛い」と愛情を注ぎ、
「誰かと比較し落ち込む」を
されることがありませんでした。

もちろん療育や教育上何が出来て、
出来ていないかを知ることは必要でしたが
だからといってそれを悲観材料にし
必要以上に落ち込まれた姿を見たことがないです。

だって、それぞれ違うんやから、と。

生まれた時からその子自身をあるがまま
観ておられるんだなぁと諸処で感じとれました。

なので、その子自身誰かと比べて「勝る、劣る」や
過度な劣等感等を現在持っていないです。ほーんとに。
区別はあるけれど、差別がない。

例えその子が外から様々な目でみられても、
本人の辞書には「差別」や「優劣」の経験が身近にないので
「だから何?」と反応が薄い。

私は昔、障害をもつお子さんの療育と
家庭教師をしていたことがあります。

その時に担当した親御さんは赤ちゃんの頃から、
出来る限り健常の状態に近づけようと
障害だからこそ特長が出るお顔に針治療や、
あらゆることを行い努力されていました。

その親御さんの行動も我が子を思う気持ちの現れ。
なので、それは当時も今も理解できます。

ですが近年、親戚と関わるようになって
私自身、当時の感覚から変化していきました。

その1番は、
「そもそも人は、比較や差別を見聞きし
経験しなければ、それ自体を知らずに育つ」
という循環を目の当たりにしたこと。

その子のパパとママに悩みがないわけではありません。
心配や不安もあるでしょうしマイノリティだからこその
気がかりもあると思います。

ですが、親子と接していると
いつもどこかどっしりした安心感があり
しあわせな、あたたかい気持ちになります。

人は生まれてくる時誰もが個々に神様から
贈りものをもらってくると絵本で読んだことがありました。

ある子は、やさしさを
ある子は、声の美しさを
ある子は、力持ち
ある子は、器用さを
ある子は、繊細さを
ある子は、、、

親戚の子も、そのパパもママも
あなたも、私も、みんなみな、みーーーんな‼︎
贈りものをもらって生まれてきているんやろなぁ

彼らと会うたび、その確信が強くなり
また自身も贈りものを活かせるように
生きていきたいなと気力がわきます。

贈りものを活かすためには
区別はあれど、差別は要らない。

そう教えてくれた人たちが親戚であること
喜びであり、誇りです。