◆人への嫌悪感が増し増しになる時に、軽くする方法

知り合いや親しい人に対して
こちらが一方的に
嫌な感情や不快を感じる時があります。

それにはそれで
なんらかの理由があるワケですが
言語化できない時もあり
(相手に言わないにしても)
そのまま放置していると
嫌悪感が増し増しになっていくことってありませんか?

やっかいなのが
実際には暫く会ってもおらず
なんらかのコンタクトともとっていないのに
嫌や不快が膨らんでしまう時。

そういう時って大概想像や思いこみで
嫌悪感増し増しにしている可能性大ですね。

とはいえ嫌なもんは嫌。
想像であろうが、思いこみであろうがイヤはイヤ。

そんな時はこちらを試してみてください。

1、嫌を味わう ← なかったことにしない
紙に書いてもよし話せる人に話すもよし
(アドバイスなしでただ聴いてもらうこと)

2、相手との出逢いから
これまでの出来事を思い出す ← 全体をみる

2 のこれ、私は効きます!

嫌になる時って相手の一部や
出来事の局所しか見ていないことが多くて
それに気付くと「イヤ」が
トーンダウンしてくるんですよね。

特に、家族とか身内にようやってる(笑)
(しょっちゅう顔合わしている相手ですけども)

嫌が膨らみ囚われてしまう時は
試してみてくださいね。

◆愚痴が出る時の心理

先日弟と話をしていた時近況報告から、
ちょっとした愚痴の話になりました。

今回は弟の不満を私が聴く役。
反対の時もあります。

今回はたまたま共通の知り合いについてでしたが
同じことに遭遇しても
自分はさほど気にならない時もあれば逆な時もあります。

似たような体験しても反応が違いますね。

特に相手の行動や言動に何かしら引っかかる時って
一見相手の影響に思えますが自分にも理由があります。

例えば、過去の似た経験がしこりになっていたり、
コンプレックだったり、
普段は意識していない心残りや後悔が刺激されたりなど。

そういう時は不満や嫌悪感、または正当化
権利、主義主張の形で出てきたりする。

これ、人の話を見聞きしていたら
何か変だなと思うのですが
自分ごととなるとなかなか気づきにくいものです。

というのも、弟と話して暫くしてから
以前、私が弟に愚痴りまくってた相手のことを思いだしました。

私はその時めちゃイラついていたのですが
本当はうらやましくて、
わかってほしくて仕方なかったんです。
あぁそれを認めたくなかったんだと。

そう思えたのは時間が経ったこと、物理的距離が空いたこと、
そして他の似たような経験(人間関係)から自身の本心がわかり
それを認めることが徐々にできたからだと気づきました。

とはいえ弟の話を聴くときにそんなことは言いませんよ。
気づくタイミングは人それぞれだし
気づきたいかどうかもわからないし
そもそもなんかあるかどうかも私の想像。

それに話し手の気持ちや立場を想像すると
ただただ嫌悪感で
誰かに言いたい気持ちで
いっぱいになることよーくわかります。

というわけで何かしらの引っかかりがある時は
ただただ聴いてもらう。
または自分の思いを自分が丁寧に聴いてあげる。

安心できる時間、人を選んで。ね。

◆スクールカウンセラーの採用試験と結果

2023年が明けてからいくつかの自治体の
スクールカウンセラーの採用試験を受け、
その内のひとつの結果がわかりました。

合格!

春からは従来の個人相談に加え、
スクールカウンセラーデビュー。
忙しくなるけれどやりたかったことのひとつです。

現状のカウンセリングとの違いは
個人支援か、チーム支援かです。
今回どの面接でもそこを問われ深掘りされました。

心理カウンセラーとして専門性を発揮し支援する上で
個人と、チーム支援の違いは何か?

もし管理職(校長先生など)と
見立てや意見の相違があった場合
どう接するか?(具体的な例で)

生徒からのカウンセリングや教師からの相談が
次第に減ってきた場合どんな対処、行動をとるか?

クラスを見学した場合、
生徒の何を意識的に観察するか?など

質問は千差万別でしょうがどれもチーム支援の
理解と対応力に即した問いでした。

他には、いじめ、不登校、発達障害、ヤングケアラーなどの
問題に対する対応や支援について具体に聞かれました。

また自治体によっては筆記試験、論文記述試験もありました。
私ってば、とにかくやってみたい!と思ったら「おりゃー!」と即行動、
なので受験しながらの勉強でしたがそれがよかった、のかな?
ここからがホンマのスタートです。

各自治体の教育委員会や文科省が出しているホームページは
充実していてとても勉強になりました。

今、義務教育課程のお子さんの子育てや悩みがある生徒本人、
また心理援助職の方はぜひ各自治体のホームページを読んでみてほしいです。

個人セッションと、チーム支援
どちらにもメリット、デメリットがあります。

個人セッションだと個に応じて支援を出来るのがメリットですが
反面、関係が密になる分カウンセラーの得意分野に隔ったり、
視野が狭くなる可能性も否めません。

特に子ども、学生に関してはチーム支援が必要。
今回、そのような点からも志願しました。

自治体によっては面接が刑事さんからの取り調べのようで
(↑個人的な感想)その勢いに怖っと数秒ビビりましたが
逆にそれで自分にスイッチが入り、
熱くなっちゃってメラメラとりゃー!と応え
その結果合格できたのかもしれないです。

振り返ると教育委員会の面接官は、
生徒や養育者、現場の教師のことを考え
この国のよりよい未来をと
日夜本気で関わり、それだけ真剣だからこそ
熱く圧く問うて下さったように今は思います。

そうそう下記も各面接で聞かれました。

「スーパービジョンは定期的に受けていますか?」
「スーパーバイザーは臨床心理士か公認心理師の資格をお持ちですか?」

スーパービジョンとはカウンセラーが
別の心理カウンセラーに受ける個人セッションのことです。

まず相談される側が健全であり、
どんなに経歴や経験者、年数があれど
その人自身が「人に相談できる人か?」
「振り返りが個人枠や自己流になっていないか」
を重視された質問でした。

私自身定期的に受けていますが
今回念押しで言われた感がありました。

あとやたら出る「資格」という言葉に少々違和感を抱きましたが、
選ぶ側からすると、初対面の限られた枠内で
スクールカウンセラーを決める判断基準の
一つとしては、いたしかたないと思いました。

というわけで、春から新たな出発。。
従来のなら結びの個人カウンセリングと
キンダーカウンセラーのお仕事。

新たにスクールカウンセラーとしての業務。

個人支援と、チーム支援のメリットを活かした
包括的な心理支援を高めていきたいです。

◆同じ事象でも悩みになるかどうかは、その人次第

同じ事象でも人によって悩みになる場合と
ならない場合があります。

例えば、睡眠。

私はここ2年、途中覚醒するようになりました。
寝入りはスムーズですが
多い時は2〜3回くらい目が覚めます。

原因は加齢によるホルモンバランスの乱れと、
気がかりなことがあったのがきっかけでした。

ですが目が覚めること自体
あまり気にならなかったので
未だ困らず悩みにはなっていません。

「覚めた!」「はい、おやすみ〜」と目を閉じると
いつの間にか寝ていますし、
寝れない時は、分厚い小難しい心理の専門書を
布団の中でめくるとすぐに意識飛びます

途中覚醒している分
たまに日中眠くなる時がありますが
仕事合間に30分寝たり出来るので体は疲れません。

ケースにもよりけりですが同じ事象でも
どこに焦点をあてるかで悩みになるか否かが変わります。

話しは変わりますが数ヶ月に一回、
顔のシミ、シワが気になる周期がきます。

シミ期には、どれもこれもが気になり
ネットで美容外科シミとりを検索しまくり、
シワ期は鏡を見るたびにシワしか目にいかず
変顔(エクササイズ)に力を入れ、
これまたアンチエイジングを検索しまくります。

ですがどちらもブームが去ると「ま、いっか」となり
ほぼ気にならなくなるか違うところ(例えば髪ツヤ)に
意識がいくようになります。

要は客観的に見ているものの、
視野が狭く、一点に集中すると
より強調され悩みに繋がります。

これらは体についてですが
それ以外の悩みごとにも言えること。

対処法としては
まず視野の狭さに気づくこと。

意識を違うものに向けてみること。

いつもとは違う行動をとり事象から離れこと、など。

視点や捉え方が変わると
気持ちがラクになることけっこうあります。

事象を悩みや困りごとにしない
付き合い方♡身につけていきたいですね。

◆いじめ問題、その根本を知り考える

だんなさんと深夜まで
「いじめ」について話しをしていました。

最初は主に小学校、中学校についてだったのですが
次第に自身の学生時代のこと
また現在関わっている幼児教育について話しが及びました。

いくら幼児期の環境を整えたとて
親子関係や家庭が土台であれ
集団生活が主になる義務教育〜高校にかけての経験次第で
個人の心身や将来の生きづらさへの影響は大きく深くなります。

統計では小中にいじめ問題が多く、
大学になると一気に 数が減るのが現状です。

その違いは何か?
それは大学だと付き合う選択肢が広がるからと考えられます。

合わない人とは無理して付き合わなくてもいい
選ぶ自由度が増す。

例え所属グループでうまくいかなくとも
大学以外のバイトやサークル
その他の集団に属することかできるなど
選べることで個人の尊重度が高まるからともいえます。

つまり、心理学でよく言う
「同調圧」が緩和されるってことだなと。

同調圧 → 特定の集団で少数意見を持つ人が
多数意見に合わせるよう暗黙のうちに強制するもの

だんなさんは約30年幼児教育に携わる仕事をしており
多くの保育園や幼稚園、子ども園と関わってきていますが、
子どもたちが落ちついていて集中力が高く、吸収力が高い園と
何かしら問題を抱える園では、共通がみられるそうです。

その共通とはこれまで
【親子関係、園の職員間の関係、子への関わり子どもの発達、方針等】が
主だと思っていたのですが(← 私も同じく)
見えない「同調圧」も重要な原因の一つだと
話していて気づきました。

というのも私たちが知る複数園の中でも
年齢別の横割りが主な園と
異年齢が交わる縦割りを取り入れてる園では、
縦割りを園生活の一部に取り入れている園の方が
子ども達の落ちつきや安定度が高いことに
ハッ!としたのです。

横割り → クラス別、学年別
縦割り → 年齢関係なく共に過ごす時間がある

つまり横割りだと
同じ年齢で同じ顔ぶればかりで
同調圧が高まりやすいことが考えられ、
縦割りだと年齢や発達が上下様々なので
「同じ < 違いがある = 世界が広がる」
構図になることが考えられます。

とはいえ縦割りにしたらオッケーというような
単純なものではないけどね。

子どもが(大人も)人間関係や、いじめ、パワハラ等で悩んでいる時
その場の改善を試みることも一つですが、
時には離れること、逃げること
または違う世界に身を置いてみること
狭い範囲の中にいる事実に気づくことを、
周りがサポートすることも大切だと思います。

そして集団を整える以前に
個人の尊厳を育てる関わりに力をいれること。
そのために自己肯定を高めるための
教育や心理援助は不可欠ですね。

かくゆう私も過去人からいじめられ、
私もまた人をいじめるをしてきました。

それは心の弱さや人の気持ちを思いやれないからだけでなく
そうならざるえない
影響、環境、自然の摂理(同調圧)などが
複雑にからみあってのことだと思います。

また「いじめ」とは加害者、被害者だけでなく
観衆(はやし立てる人)、
傍観者(見てみないふりする人)から作られる人間関係。

自分は加害者にも被害者にもなったことはなくとも
「観衆」や「傍観者」を
経験した人は少なくないのではないでしょうか?

集団を一つのまとまりとすると、
「観衆」や「傍観者」が多いまとまりほど、
問題が深刻になりやすいと言われます。

「いじめを肯定することは論外やけど子どもであれ、大人であれ
いつどこで、誰にでも起こりうることやね
それらを忘れずに今、出来ることをやっていきたいね」
と談義はお開きになりました。

個人の充足が外の世界の安心に繋がるよう
円になるようカウンセリングを進めていきたいです。