◆時差と豊かさ~世の中の目に見えないネットワークの中で

以前、カウンセリングの体験にお越し下さった方は
4,5年前に知り合った方でした。

直接お話ししたことはほぼないのですが
覚えていてくださり、ブログを見つけてくださり
「今だなと思ってきました!」とお越しくださいました。

とても嬉しかったです。
ありがとうござます。

昔、カウンセラーを育てる専門学校で
講師をしていた時にも
同じようなことがありました。

当時、東京に出張した際、初めてお会いした生徒さんが
その頃書いていた会社のブログ記事を
数年前から読んでくださっていたそうで
会えたことを喜んでくださいました。

相手には知られているけれど
自分は自覚がない。

自分は知っているけれど
相手は知らない。

世の中や日常って
そういうものだと思います。

ですが、つい目の前のことに一喜一憂したり
見えていることに引っ張られがち。
忘れてしまいがち。

Mr.childrenの「彩り」という曲の一節に
こんなフレーズがあります。

『なんてことのない作業が この世界を回り回って
 何処の誰かも知らない人の 笑い声をつくってゆく』

ホンマにそうやなと思います。
逆も然りやけど。

気功教室の新屋先生が
よくおっしゃっていました。

「世の中見えないけど
 エネルギーのネットワークです」

自分のエネルギーを知り
世の中の網の中でどう行動を起こすか
目の前の事象を受けとめつつ
何に気づき、どんなエネルギーを発するのか。

良いも悪いも巡り巡って
自分に返ってきますね。

気功教室で学ぶことは
気を感じ感覚を磨くことなので
なかなか見えずらく感じることも
あるかもしれません。

ですが、自分や世の中の「気」を理解し磨くことは
時差のある豊かさを身につける一つだと
私は思っています。

◆子どもの引きこもりや鬱、子どものことで悩んだ時に親ができること

子どもとの関係で悩んでいる親御さんが
カウンセリングにお越しになられることが
ちょくちょくあります。

また、お子さんがある程度の年齢で(成人の場合もあり)
引きこもりや問題行動、社会生活に適応しにくいなどの理由から

『子どもにカウンセリングを受けてほしい!』
『第三者の意見なら聞いて変わるんじゃないか?』

と切実に願う親御さんからのご相談もあります。

実は私の元家族も同じような状態だった時期がありました。
もう30年以上前ですが、、。

当時はカウンセリングもまだ一般的ではありませんでした。

きょうだいが不登校になり
突然生活態度が変わり、暴れたりはしないものの
どちらかというと躁鬱の鬱が強い引きこもりになりました。

慌てた母はいろんなことろへ相談に行ったり
本人にカウンセリングを受けるよう連れて行きましたが
なかなか変化が見られませんでした。

そんな時、あるカウンセラーの先生が
「お父さんとお母さんがカウンセリングを受けてください」
とおっしゃいました。

母はまだしも、父は働き盛りで多忙だった時期。

「なんで自分が??」

子どもの問題なのに、なぜ自分が
カウンセリングを受けなきゃいけないのか?

父がそう言って母が肩を落としていたのを
今も覚えています。

当時の父からすると子どもの変異も
突然で無理はないのかもしれません。

結果的に父はカウンセリングを受けなかったのですが
母と本人が受け、それを父に伝えることで
父は子どもへの関わり、家族への関わりを見直すようになり
そのあたりから徐々に回復しはじめました。
(今では懐かしい昔話です)

ある程度の年齢になったお子さんについての
心配や悩みは、その人本人のものと捉えがちですが
(確かにそうではありませすが)
どこかで掛け違えてきた子育てや家族の根深い見えない問題は
1番パワーバランスの低い子どもさんに症状として出やすいのは事実です。

不思議なようですが、子どもに悩む親御さんが
カウンセリングに来られ帰宅されると

・子どもの様子がいつもと変わった!
・子どもと話もしていないのになぜ?

などという報告をよく伺います。

それだけ親子は話そうが話すまいが
無意識で影響し合い見えない気を感じとる
コミュニケーション力が長けているということですね。

お子さんがもう大人だから!というのは
ある意味偏った見方だと私は思います。

過去に、互いに気づかず良かれと思い
不適切な関わりをしてきたのであれば
今からそれを互いにやり直せばいい。

そこに遅いとか手遅れというのは
違うと思うのです。

ただし、症状によっては時間がかかりますが。

心理カウンセリングでの親子相談は
犯人探しをするものではありません。

なぜこの状態になるかは理由があるので
家族観のこれまでのコミュニケー所んや
関係構図、家族ならではの
常識が親子にどんな影響を与えているのかを
紐解いていきます。

親は子どものために
子どもは親にこたえるためではなく

「親は親」「子は子」
自らの人生を充実して生きていくために
互いに今何が必要かを、根本的に気づき育てていけるよう
心理カウンセリングをさせて頂きたいと思っています。

◆非常識からのエール

短所は長所でもあり、長所は短所にもなる
ほんとうにそうだなぁと思います。

私はこれやりたい!と思うと
昔から後先考えず
ストレートにぶつかる所が多くありました。

なので随分恥ずかしい痛い思いをしましたが
よくよく考えると、そのおかげで人とは違うやり方で
結果や希望を叶えるということがいくつもありました。

特に進路を決める時は全てそうだったな、、、笑

例えば、保育士を退職して
当時トレンドだった人気の幼児教室に就職した時もそうでした。

新聞の広告に採用募集が出ていることを
友人が教えてくれたのです。

友人 : 〇〇教室が先生募集してんで!

私 : わぁー!ほんまや!今すぐ応募するわ。

友人 : ちょっと待って!今回の募集は英語の先生やで。

私 : えー!

・
・
・
間、3秒。

私 : 応募する!

で、結果どうなったかと言うと不採用でした。

そりゃそうだ。
英語できないもん!
この人大丈夫か?となるわね、普通。

ところが、半年後
そこの幼児教室の先生に晴れて採用されたのです。
希望通りの部署で。

なぜでしょう。

それは今思うと
この3つが功をなしたのだと思います。

・純粋にやってみたい気持ち
・行動力
・人の目を気にしすぎない

私が送った履歴書には
正直にあるがままの経歴を書きました。

それを見た人事採用の方は
私が英語ができないのがすぐわかったと思います。

ただ、その履歴書にはお手紙も添えました。

なぜ私が御社の先生になりたいか
これからどうするかを
具体的にツラツラと書いて送ったのです。

実際に不採用になってからは
英語教室に通い、次のチャンスに備えました。
(全然モノになってへんけど)

当時、私は英語の先生になりたい以上に
そこの独自の教育を学び、子どもたちの可能性を育てる
先生になりたくて仕方なかったのです。

すると半年後、先方から電話がかかってきました。

『英語ではなく、幼児教室の先生に欠員がでました。
 以前の履歴書をみてあなたにお逢いしたいと思いました。
 よろしければ面接にお越し頂けませんか?』

やったー!

結果、採用していただき幼児教室では10年勤め
退職最後の年は全国のパーティーで表彰を受けることにもなりました。

そこの幼児教室での経験があったからこそ
次のステージ、心理カウンセラーへの道に繋がったのも事実です。

やりたいか?
やりたくないか?

人の評価か?
自分の評価か?

人真似か?
オリジナルか?

かなしいかな、私も年齢を重ねるとともに
以前の純粋な向う見ずな部分はにぶりつつあります。

いやいやいや、
そうはさせへんで(笑)

学んだ気功や
日々のカウンセリングでなんとか健在です。

常識はたいせつ ← そこは学んだ(笑)
秩序も大事 ← 独りよがりはアカン

だからといって、自分の気持ちや行動を
常識にのっとられるのはもったいない。

まずは自分の気持ちに純粋であれ。

20代の頃の私がエールを送り続けてくれています。
全ては経験、人生は冒険なり。
ファイト!

◆失敗して褒められた!自己肯定感

数年前、自分が主催したイベントで初めて出逢い
そこからカウンセリングにお越しになられた方がいらっしゃいます。

数あるカウンセリングの中で
なぜ私を選んだのですか?と聞くと
自己肯定感がスゴッ!と思ったからとおっしゃいました。

あのイベントで?
ほとんどお話ししてないのに?

というもの、その時は私はイベントの主催者で
講師は外部からお呼びした方だったからです。
参加者さまに、あらためて伺ってみました。

————–
だって、水崎さんは
段取り間違えても言い間違えても
あはは!と笑っていたでしょう。

それを受けている参加者も講師も
「え?」ってなるどころか
一緒になってみんなで笑って協力して
結局盛り上がってましたやん。

それを見てこの人って
自己肯定感がスゴイんやなと思ったんです。
————–

なんか、すみません。
いや、あの、ありがとうございます。

間違えて、とちって
褒められるってどうよ?ですが、
確かにあの場所は
私が言い間違えても和やかでした。

それは、まずは1番に集まる方々の
高い受容力のおかげであったと思います。

あたたかい方々ばかりでしたから。

ただ、そう言われると私自身、失敗との付き合い方は
普段の時とあまり大差はないのかもしれません。

準備してやることやっての結果は
どうしようもないですもの。

開き直るわけではありませんが
心からお詫びして、自分にこもらず
出来ることをするしか仕方ない。
しゃーないです。

笑ってごまかすのではなく
笑顔で出来ることを探す!する!

それがあの時の参加者さまのお1人には
自己肯定感とうつったんでしょうね。

————–
水崎さんの対応をみて
「あ、これでいいんや」って思いましたから。
————–

ですって(笑)
ありがとうございます。

失敗もうまくいっても自分は自分。
それを別名、自己肯定感ということを
参加者様から教わりました。

これからも経験を、経験していこう。

日常も特別な日も、
自己肯定感レッスン時間がたっぷりありますものね。

◆罪悪感との付き合い方

小さいことから、人に言えないことまで
誰もが大なり小なり罪悪感を持っていると思います。

私の場合だと小学一年生の時、10円飴が買いたくて
おばあちゃんのお財布からお金をとってしまったこと。

部活をさぼりたくて膝が悪いせいにしたこと。

友達が就職決まって「よかったやーん!」と言いながら
自分と比べてねたましく思ったこと。

彼ができたら一緒にいたくて親に嘘ばかりついていたこと

知らないのに知ってるフリして
「そんなんも知らんの?」と旦那さんに言ったこと

休みの日に先輩に誘われるのがしんどくて
何度か親や親戚が具合が悪くなったこと(笑)

・・・・・・なんの懺悔の部屋でしょう。

ここに書けるものならまだしも
墓場まで持っていくー!というものもあります。

以前、複数の方を対象にした心理学講座で
罪悪感ををテーマに1人2分ずつ発表をしました。

私はナビゲート役なので講座では発表しませんが
皆さんから聞いたものはもちろんシークレット。

共感したり忘れていた過去を思い出したり
気づくことが多かったです。

私の場合、罪悪感には2種類あります。
話にできるものと、できないもの。

よく浄化という言葉を使いますが
きっと浄化しきれていないんですね。

思い出すと未だに不快になるものがあります。
身からでた錆です。

以前は、それが嫌で仕方ありませんでしたが
ここ数年はマシになりました。

なぜかというと
罪悪感の正体がわかったからです。

自分の持っている罪悪感は
「自分を守るため」のものです。

つまり、恐れや心配、不安から身を守りたくて
罪悪感を手に入れてきたものだと思います。

そう思うと、そうやって守ろうとして
嘘ついたり、ごまかしたり
ええ格好したりする自分を赦してあげようと思うようになりました。

もちろん法に触れたりすることであれば
懺悔して罪をつぐなわないとだめですけど。

むかーし、おばあちゃんのお金をとってばれて
母から物凄く叱られたけど
おばあちゃんは頭を撫でてくれました。
赦してくれました。

もうしない、と思いました。

あと、どれだけ罪悪感を抱き懺悔し
どれだけ自分を赦していくのか未知数ですが
そんな自分と付き合っていきたいと思います。