◆時間薬と効果

「時間の薬が効いてきました」

あるクライアントがおっしゃったのをきいて安堵しました。

時間が薬になる、、という概念はよく聞く話です。
ですが実際は「時間」だけではないと思います。

その間どう過ごしたか?
どう動いたか?
また、じっとする休むことを選択したか?
待つことを選んだか?など。

「時間」・「存在」の結果が時間の効果だと思います。

話は変わりますが時間の使い方を意識すると
結果や世界が変わるということが日常でもいくつかあります。

例えば、食事について。

私はご飯を食べる時、意識的に「味わう」ようにしています。

そうすると自然に沢山噛むし太りにくくなるし
間隔が研ぎ澄まされるし同じ食事時間が満たされる時間になります。

食事って必ずするものですしね。

それが毎回満たされた感が持てるって
いいなぁと思うんだなぁ。

また今年やっている心理学の勉強は
先生の講義を高速(倍速)で録音機にいれて
聞いて(流して)います。

そうすると忙しい日でも学べるだけでなく
高速から普通速にした時にゆっくり聞こえてくる。
これがまたいい。

これはむかーしやった英語学習でやったのですが
聞き取れなかったものが高速から低速になると
「よく聴こえる」「ゆっくり聴こえる」ようになるんですね。

これも「時間・存在」効果ですね。

「時間」は薬にもなれば
ただ過ぎるものにも苦痛にもの、
しあわせにも、如何様にもなります。

人によっては
こんな時間がいつまで続くんだろうと苦しみに感じたり
なすすべがないように思うほど辛い時もあるけれど
時間は味方になってくれるものでもあると私は信じています。

また、そんな付き合い方を自身や
クライアントとみつけていきたいと思っています。

◆強迫症(周りの理解)

昔、ストレスやトラウマから強迫症という
神経症にかかったことがありました。

不合理だとわかっていてもわかっていても
「〇〇をしなければ、恐ろしいことになる」と
強迫観念にとらわれてその〇〇を儀式のように繰り返すのです。

強迫行為に多いものは不潔恐怖と洗面強迫(何度も手を洗うなど)や
確認恐怖(何度も鍵やスイッチを確認するなど)です。

当時の私は、掃除に異常に固執し
1日3回以上掃除機をかけ
またどこかしらを拭いていました。

綺麗になっていいじゃないか?と思われるかもしれませんが
拭いた直後にきになるものでしんどくてたまらなかったです。

辞めたいのに辞められない。

汚くても死なへん!そんなの不合理だ!とわかっていても
体は動いてしまう、頭の司令がとまらない。

モノ、コトによっては日常生活にも
支障をきたすので辛いです。

辛いのは行為がやめられないことだけではありません。
自分の場合はそれ以上に
周りの目や理解が気になっていました。

本人は行為や思考は特殊だとわかっています。

でも、それをせざるを得ない状態をわかってもらえない
もしくは口に出さずとも偏見を感じたりして
それがわかるとますます不安になり症状に拍車がかかるのです。

これまで私が受け持った強迫症のクライアントたちは
ここへきて(カウンセリング)わかってもらえたことに
安堵されていました。

治療はカウンセリングの行動療法や
医療での薬物療法(抗うつ薬)が一般的ですが
不安症やパニック症と併用している場合が多いので
治療方針はクライアントの状態や
本人の意向も合わせ選択していきます。

行動療法とは、あえて恐怖のピークまで
行為をとめるというものがありますが
本人の同意や適切かどうかをよく見極めないと
逆効果になることがあるので慎重をきたします。

けっこうなあら治療でもあります。

ただ、最近思ったのですがこの行動療法、
理にかなっているなぁと感じることがありました。

また強迫症の改善に限らず人によっては
日常にも応用できるなぁと。

強迫症の治療のひとつの行動療法に強迫行動をピークまで
我慢させ恐怖や心配を乗り越えるという方法があります。

例えば、繰り返す手洗いや掃除をあえて
「やっちゃだめ!」とストップをかけるというやり方です。

ストップするとますます不安や恐怖は増大し
すごいストレスと負荷がかかります。

人によってはもうアカン!しぬー!くらいの
恐怖に襲われる場合もあり
かなりスパルタな荒治療ですが
実際のところ恐怖や心配不安にはピークがあり
そのピークを超えるとふっと抜ける(捕らわれから)瞬間がやってくる
それを目指します。

これは効果的とはいえ実際は倫理的にもどうか?
という議論もあり頻繁に採用されるものではありません。

ですが理にかなっているなぁと思います。

なぜなら、不安や心配、恐怖を受容するやり方だからです。

強迫症や不安症に限らず人は同じことで悩んだり
似たような問題を抱えることがあります。

そのたびにラクになる考え方をしたり
「切り替え」と言う名のもとバシッとなかったことにして
気を紛らわすことがありますが
そうすることで同じことに遭遇する場合があります。

皮肉なもので不快を避けようとするればするほど
不快に追っかけられるのね。

強迫症のクライアントではありませんが
これまでストレスや問題に直面しても
なんとなくやり過ごしたり見てみないフリをしていた方が
ある出来事をきっかけに軽い鬱状態になられたことがありました。

その方がラクになられた時の言葉が印象的だったかな。

それは
「今回はこれまでと違い悩みきりました。
だから少ラクになったんだと思います」

不快な感情はできれば避けたいもの。

ですがそれも自分の一部であることは事実。
仕方ないのよね。

感じきって悩みきったら
やがてピークがきて仕方ないと諦めがでて
受容に変わる瞬間が訪れる。

それも心の力だなぁと
日々買う背リングで教えられています。

繰り返しますがだからといって
毎回直に向き合いましょうと
すすめているわけではありません。

人それぞれ症状やパーソナリティによって
やり方は一概には言えませんから。

一番書きたかったのは
どんな感情も自分のもの
そしてピークがあるってことだな。

苦しみは続かない。
そしてそして悩みきった乗り切った先に自信がつく
自分との絆が強くなるという
ご褒美があることもまた本当です。

◆運、人脈、モノ、チャンスなど、豊かな人の共通点

運、人脈、モノ、チャンスなどに恵まれている人
または巡りがいい人を観察していると
共通点があることに気づきます。

頭の良さや、能力、努力もありますが
それよりも奥にある土台のような共通点です。

それは「受け身」ではないことです。

自分から先に与えるということも
共通しています。

人に何かをしてもらったから返すのではなく
また言われたからやる、合わせるのでもなく
自分から何かを発信されています。

一方で何か嫌なことをされた時
それと同じように「やりかえす」こともされません。

例えば挨拶したのに無視された場合
同じように無視したりはしないんだなぁ。
これも受け身だものね。

これがなかなか難しい。

受け身にならず自分発信。
何にせとやったことは
時差はあれ返ってくるもの。

今の選択が未来に繋がるなら
今ここから意識して受け身ではなく
「自ら」を選択していきたいですね。

◆精神科へ同行

先日、クライアントが定期的に受診している
精神科に同行させてもらいました。

行ってよかったです。

援助とは連携と協力によって
成り立つものだと確信しました。

主治医の先生は私にも意見を求めて下さり
今、どの地点にいるか
何が必要かが更に明確になりました。

またクライアント自身、主治医と私の働きかけが
同じ方向に向き進んでいたことに初めて気づかれたそうです。

一つの専門分野だけでなく
「生物ー心理ー社会モデル」に基づき
援助を考えることは大切ですね。

その日の同行で、病院での面接の仕方、
薬の効用や副作用、また何故今それを処方するのか
生物 → 体への影響はどうか?
今度どのような見立て(治療方法)ですすめていくのか
現在の課題への丁寧な傾聴など30分ほどの受信でしたが
私自身も多角的にクライアントを理解する機会になりました。

今回に限らずこれからも(は)主治医の指示や見解を仰ぎ
またその他の専門職との連携を念頭に
心理カウンセリングを行っていきたいと思います。

カウンセリングに限りませんが
援助を受ける側も提供する側も
ひとりではないという安心感と事実が
人の本来の力の回復や更なる発揮に繋がると思いました。

◆ダメなものはダメ!

カウンセリングをしているといろんなケースに遭遇し
中には倫理的に受容しがたいものに出会う場合もあります。

どんな件であれ、カウンセリングではクライアントを
無条件に受容するのが基本ですしそこは最もコアですが
中にはダメなものはダメ!という姿勢と態度をもって
対応することが必要な場合があります。

それは例えば、窃盗や万引きなどの犯罪や
自傷自殺、他人への危害など。

これらはどんな理由があるにせよ
また精神的な病気などの要因があるにせよ
うやむやに応対することは後々本人だけでなく
周りへの影響を及ぼす可能性があります。

ダメなものはダメ!
カウンセラーのこのような姿勢は
治療の上で広義の受容にあたると考えます。

だからといってこのような場合は
直接本人に指摘したり、または批判批難するのは
ベストとはいえません。

むしろ直接的よりしかるべきところとの連携や
相談が必要だと思います。

クライアントが精神科へ通院しているのであれば
まず主治医へ相談する。

家族と相談する。

コトによっては行政機関や相談機関へ。

クライアントの存在を受容するのは大前提ですが
行動もひっくるめて何もかも受容だからは違う。

ダメなものがダメ。
クライアントを人として守るための受容視点です。

カウンセリングは道徳観を
育てるものではありません。

心の健常を回復し
心身の健康を目指すものです。

そして1個人の心の健康は社会の健康に繋がっています。

だからこそ個人と社会の健康を切り離して
考えることは不自然になります。

ダメなものをみつけたらそこからどうするか。
カウンセラーも1人で抱えないよう心していきたいと思います。

クライアントと社会の繋がりの先を見て「今ここ」の対処を。。。