◆強迫症(周りの理解)

昔、ストレスやトラウマから強迫症という
神経症にかかったことがありました。

不合理だとわかっていてもわかっていても
「〇〇をしなければ、恐ろしいことになる」と
強迫観念にとらわれてその〇〇を儀式のように繰り返すのです。

強迫行為に多いものは不潔恐怖と洗面強迫(何度も手を洗うなど)や
確認恐怖(何度も鍵やスイッチを確認するなど)です。

当時の私は、掃除に異常に固執し
1日3回以上掃除機をかけ
またどこかしらを拭いていました。

綺麗になっていいじゃないか?と思われるかもしれませんが
拭いた直後にきになるものでしんどくてたまらなかったです。

辞めたいのに辞められない。

汚くても死なへん!そんなの不合理だ!とわかっていても
体は動いてしまう、頭の司令がとまらない。

モノ、コトによっては日常生活にも
支障をきたすので辛いです。

辛いのは行為がやめられないことだけではありません。
自分の場合はそれ以上に
周りの目や理解が気になっていました。

本人は行為や思考は特殊だとわかっています。

でも、それをせざるを得ない状態をわかってもらえない
もしくは口に出さずとも偏見を感じたりして
それがわかるとますます不安になり症状に拍車がかかるのです。

これまで私が受け持った強迫症のクライアントたちは
ここへきて(カウンセリング)わかってもらえたことに
安堵されていました。

治療はカウンセリングの行動療法や
医療での薬物療法(抗うつ薬)が一般的ですが
不安症やパニック症と併用している場合が多いので
治療方針はクライアントの状態や
本人の意向も合わせ選択していきます。

行動療法とは、あえて恐怖のピークまで
行為をとめるというものがありますが
本人の同意や適切かどうかをよく見極めないと
逆効果になることがあるので慎重をきたします。

けっこうなあら治療でもあります。

ただ、最近思ったのですがこの行動療法、
理にかなっているなぁと感じることがありました。

また強迫症の改善に限らず人によっては
日常にも応用できるなぁと。

強迫症の治療のひとつの行動療法に強迫行動をピークまで
我慢させ恐怖や心配を乗り越えるという方法があります。

例えば、繰り返す手洗いや掃除をあえて
「やっちゃだめ!」とストップをかけるというやり方です。

ストップするとますます不安や恐怖は増大し
すごいストレスと負荷がかかります。

人によってはもうアカン!しぬー!くらいの
恐怖に襲われる場合もあり
かなりスパルタな荒治療ですが
実際のところ恐怖や心配不安にはピークがあり
そのピークを超えるとふっと抜ける(捕らわれから)瞬間がやってくる
それを目指します。

これは効果的とはいえ実際は倫理的にもどうか?
という議論もあり頻繁に採用されるものではありません。

ですが理にかなっているなぁと思います。

なぜなら、不安や心配、恐怖を受容するやり方だからです。

強迫症や不安症に限らず人は同じことで悩んだり
似たような問題を抱えることがあります。

そのたびにラクになる考え方をしたり
「切り替え」と言う名のもとバシッとなかったことにして
気を紛らわすことがありますが
そうすることで同じことに遭遇する場合があります。

皮肉なもので不快を避けようとするればするほど
不快に追っかけられるのね。

強迫症のクライアントではありませんが
これまでストレスや問題に直面しても
なんとなくやり過ごしたり見てみないフリをしていた方が
ある出来事をきっかけに軽い鬱状態になられたことがありました。

その方がラクになられた時の言葉が印象的だったかな。

それは
「今回はこれまでと違い悩みきりました。
だから少ラクになったんだと思います」

不快な感情はできれば避けたいもの。

ですがそれも自分の一部であることは事実。
仕方ないのよね。

感じきって悩みきったら
やがてピークがきて仕方ないと諦めがでて
受容に変わる瞬間が訪れる。

それも心の力だなぁと
日々買う背リングで教えられています。

繰り返しますがだからといって
毎回直に向き合いましょうと
すすめているわけではありません。

人それぞれ症状やパーソナリティによって
やり方は一概には言えませんから。

一番書きたかったのは
どんな感情も自分のもの
そしてピークがあるってことだな。

苦しみは続かない。
そしてそして悩みきった乗り切った先に自信がつく
自分との絆が強くなるという
ご褒美があることもまた本当です。