◆「今ここ」が全てじゃないと思うこと

しあわせに生きるためには
「今ここを意識する」と良いと言われています。

私もそう思っていますし、推奨しています。

ただ、そればかりじゃないと
カウンセリング現場では(じゅなくても)思う時があります。

人によっては今が苦しくて、つらくて
受け入れられないもどかしさを抱いている方もいます。

特にそれが長年続いている人には「今ここを意識しましょう」だけが
先行すると余計苦しみが増幅します。

今ここで、過去の嫌味や苦しみに気づき、嘆いてこそ、出してこそ
今に集中できるのが「今ここ」だと思います。

今ここは過去と未来の交差点。

心が、今に集中できるように時には過去にも焦点をあて
また時に望む未来にも思いをはせれるよう
カウンセリングをしていきたいと思います。

「今ここ」ってシンプルだけど奥が深いですね。

◆モノにあふれて幸せな人とそうでない人のエネルギーの違い

私は昔からリサイクルショップやアンティークショップが苦手でした。
場所によりますが、たいがい入って数分で気分が悪くなります。

何年も前からのことなので、そんなものかと思い
また気功を学んでからは
「合わない気をキャッチして上手くスルーできないねんな」と思っていました。

映画「フジコ・ヘミングの時間」を観た時
フジコさんのパリの部屋はモノだらけでした。
そこに愛猫も3匹。

何百冊?の読んでいない古書のコレクションや
アンティークの木の重厚なシェルフ、珍しいガラスなど
それはもうぎっしりです。

フランス人は服を10着しか持たないと聞きますが
フジコさんのパリの家は逆?真反対。

けれど、今回の映画の中でみた空間は
気分が悪くなるどころか上がった!

なぜならフジコさん、どれをみても、どのモノたちにも
こう声をかけて紹介するのです。

「私ね、これ好きなの」
「これも大事なの」
「これが大好きなのよ」
まるで子どものように、さすりながら撫でながら言うのです。

気功の新屋先生とモノや場の
エネルギーについて話をしていました。

新屋先生いわく、
「純粋な心地よいエネルギーで満たされている場は
モノが多くても心地いいんだよ。多い少ないんじゃないんだよね」

ほんまや。確かに!

それは、その人がそのモノや場や動物をどれだけ愛し大好きで
子どものような心でつきあっているかがエネルギーだからですね。

幼い頃、ビー玉、いい匂いのする消しゴム
友達と交換した便箋や、イラストなどそのどれもが大切でした。

そして、それらと同じくらい
てんとう虫、ダンゴ虫、道端の石ころ
ガラスの破片なども大好きで宝物でした。
例え、それが使えないものだとしてもです。

ある日、机の引き出しから出てきた
大量の虫や石ころをみて母が叫びました。

今すぐ捨ててきなさい!
そんなもの!!
早く!捨ててきなさい!

泣きながら抵抗しましたが、守りきれませんでした。

母にとっては不要なものでも、幼い私にとっては
ただただ好きなものでした。

「ものに想いをこめたり通じ合ってなくてエネルギーが下がるから
近年、断捨離が流行ったんだろうね」と新屋先生。

確かに空虚感で集めたモノに溢れていると
その場の気は重くなります。

ただ、一方でどれだけモノがあっても
それらを扱う人の心のエネルギー次第で
場の気はあがるんだよねとも話していました。

もし私がまたてんとう虫やダンゴ虫をコレクションしだしたら
これを見ている皆さんはそっと見守ってやってください。

純粋なエネルギーに還っただけですから。
いくつになっても子ども心に耳を傾けよう。

◆自分の子どもと、教え子の違い

子どもの先生をしている方に
「自分の子どもと、教え子の違いは何ですか?」と質問を受けました。

違い???

即答できませんでした。

そんな風に考えたことなかったなぁ。

でも、よくよく考えてみると私にとって、昔の教え子の中には
我が子と同じような気持ちになっていた生徒がいます。

我が子を育てた時に思いました。
あれ?同じや、、って。

全部が全部ではありません。

我が子と同じように感じていた生徒たちには、共通がありました。

それは担任を持った1年は
一緒に過ごした時間が長かったこと(実際の親以上に長い)。

先生に成りたてで、がむしゃらだったこと。

子どもを通じて、特に手がかかる子たちは
(自分が未熟だったのは多いにありますが)
自分の嫌な部分とか、見たくない部分とか
知らない部分を目の当たりにするので
悩んだり喜んだりが深かったこと、でした。

私にとっては、当時は新米ということもあり
気持ちの休み場がなく子どもに関わっていました。

マジメだったんでね。
振り返ると、感情移入し過ぎだったなと思うところも多々ありますが
我が子に限らず人の成長にかかわることは自分を省み
成長する絶好の機会になると思います。

ただ、今になっては先生の立場は親と違って
客観視する目や距離感は大事だと思います。

それぞれに役割があるから。
中立的に客観的にみて関わることや
親の力になるというのは先生の役割だと思います。

◆他人に頼られることで自分の力を確認する人

場面や状況にもよりますが
私がいなければあの人はやっていけない。

大変、大変、と言いながら相手のことばかり頭にあり
自分のことは後回しでいつも慌ただしく動いている、、、

一見、とても大きな愛のように見えますが
親子であれ、夫婦であれ、友人であれ、セラピーであれ
上記のような関わりは「共依存」という病的な関係であり関わりです。

なぜなら、お世話する人は他人に頼られることで
自分の力を確認しているからです。

そうすると、いつまでたっても相手は自分のことが自分でできず
また、お世話する人も実は自分から逃げていることになります。

互いに自律、自立できず
常にどこか物足りない生き苦しさを抱えています。

また、本来の自分の能力や自分らしさを発揮できず
非常にもったいないことです。

恋愛などでは特に顕著に現れやすい。
つくす女はキケン(笑)ですね。

特に日本では「共依存」は当たり前で
自分のやりたいことをやって生きる人や、発言することは
「自分勝手でギスギスした人」と見られがちです。
その常識が生む心の病気は本当に数多く存在します。

繰り返しますが、共依存は特別ではなく
誰の中にもある、誰にでもある病理的な心の状態。
そして人との関係。

それに気づいた人から「一抜けた!」をすることは
自分や相手だけでなく、地域や社会をも健康にしていける愛の関わりです。

人間関係でツライ
離れたいけれど離れられない
いつも振り回されてしまう

そんな方はカウンセリングという方法だけでなく
心理学を学ぶことで客観的に自分と相手との距離を見直し
関われるようになります。

ご興味のある方は
まず体験にいらしてください。

◆裸足で画鋲の上を歩いていたような時代に出会った命の恩

私には、命の恩人が2人います。
そのうちのお1人に、数年前久しぶりにお逢いする機会がありました。

私が心の病気で1番しんどかった時代に出逢った方です。

当時は、鬱病や神経症、依存症、摂食障害、睡眠障害など
病気のオンパレードでした。

その方は病院の先生ではありませんでしたが
しょっちゅう私の話や心の声を聴き続けて下さいました。

そのおかげで数ある病気の症状は数年かけて改善されていきました。

子どもたちの先生をやめて
心理カウンセラーの世界へ踏み出したのも
その方との出逢いがなければ
今の生活はなかったかもしれません。

数年ぶりにお逢いした時
あらため、すごいと思ったことがあります。

それは、私は病んでいた当時も今も
根底の関わりが変わらないということ。

私ことを、かわいそうな人と見下すことがなく
助けてあげなくちゃ!応援してあげなくちゃ!でもなく

あなたは、あなた。私は、私。
あなたは大事な存在だよ。

という心姿勢で関わり続けて下さったのです。
関わり方や空気感は変わらず全く一緒。

たわいもない会話から、昔話や近況報告まで
あっという間の時間でしたが
何度も嬉し泣きしそうになるのをこらえました。

私はお礼をいうと
その方は必ずこう言います。

私の力じゃないよ。
あなたの力でよくなったんだから。

サラ~ッと言う。かっこいい。

良くなってからはお逢いすることは殆どなくなりましたが
便りがないのは元気な証拠と思って下さっています。

一時期の私はいつ自死してもおかしくない状態でした。
それを振り返りながら

当時、自ら裸足で画鋲の上を歩いているような
あなただったよね。
自分より人のことばかりで空っぽだったね。

とおしゃっていました。

あの時があったから今がある。
人の心の力はあらゆる可能性を秘めている!

そう、身をもって学べた時代を今は誇りに思っています。

家族でもない私に、無条件の愛情をかけつづける
心の在り方を教えてもらいました。

私は私、あなたはあなた。

良い時も悪い時も誰かや何かと比べない真の愛情は強い。

一見、冷たく見える時もあるかもしれませんが
人は本来だれにも自分のかわりはしてもらえません。

心理カウンセラーとして
こうしてして
なら結び代表として
1人の人として

これからも「生きる」を
愛していきたいと思います。