◆我が家のルール 引き継ぎたいもの

我が家のルールの一つは
「どんな時もあいさつする」です。

特に喧嘩した翌日や
もう顔みたないわって時も
なんとか言います。

おはよう、行ってきます
いただきます、ごちそうさま
ただいま、おかえり、など

この習慣は当たり前すぎて、 
ルールという認識もないくらいですが
息子が小さい頃から続けてきました。

なぜなら挨拶は相手の存在を認める
最も短いやりとり言葉だから。

どんなにぶつかっても
どんなに腹がたっても
必要最低限、挨拶はする。

存在を無視しない。見えない約束。

いつか息子が家族を持つ機会があったら
引き継いでくれたらうれしいなぁと思います。

みなさんが育った家族から
影響を受けてきたルールや習慣。
受け継ぎたいものは何ですか?

◆道徳と心理学授業の違い

小学校でSCが行う心理学の授業を見学させてもらいました。
小学2年生のクラスです。
テーマは、コミュニケーション。
「嫌なこと、困った時の相手への伝え方、関わり方」でした。

以前から道徳の授業と心理学の授業の違いはなんだろうと
疑問でしたが授業をみていてこれだ!と気づきました。

道徳授業は、先に「決まり」ありき。

かたや心理学授業は、決まりを自ら、
または周りと築いていくもの。

子どもたちが場面を設定し、
役割を決め、劇をし、
それぞれの心の揺らぎを経験し
気づき、「こたえ」をつくってゆく。

あらためて子どもへの心理学授業の
効果と必要性、それを実際に
授業する難しさを痛感しました。

まだまだこれからだな。
学ぶこと盛りだくさんです。

◆【2種のよかった探し】しあわせの感度を上げるワーク

幸福度を上げるワークのひとつに
「よかった探し」があります。

一日を振り返りその日の「よかった」を
振り返り、メモをするというものです。

色んなやり方がありますが
私は2種の喜びを探すワークが気にいっています。

一つは自分のよかった。うれしかったことを探す。

例えば
・アップルパイもらった。
・美味しいご飯屋さんみつけた。
(食べることばっかw)
・友だちからメールもらった
・よく寝れた、など

もう一つは人を喜ばせたこと
または人のためにしたこと探し。

例えば、家事をした、カウンセリングした、
家族に笑顔でおはようと言った、など。

ささいなことでいいんです。
どんなに小さなことでも。

しあわせって、自分と自分。
自分と人の間で、生まれるもの。

2つを意識し習慣化すると
しあわせの感度があがります。

今日のあなたにとって
2種の「よかった=しあわせ」は何でしたか?

◆愛されているか不安になる人の行動と結果

むかし付き合ってた相手に
何百回と言ってた言葉があります。

「私のこと好き?」

はぁ、、、めんどくさって今なら思うし
聞かれてる相手の気持ちも想像出来るし
逆に自分がされたとしても
「ええかげんにして」と嫌になったはず。

ですが当時は確認せずにいられなく
愛されているか常に不安でした。

自分にとって大切な人が
受けいれてくれているかの極度な不安や
疑心暗鬼になりすぎることを
「拒否感受性」が高い、強い状態と言いますが(心理学)、
これが強くでればでるほど相手を信じられず、
確認ばかりするのでそら、うまくいかなくなりますね。

拒否されたくない!と思えば思うほど
しがみつき、やればやるほど
1番恐れている現実を引き寄せしまう。

なぜなら「相手から拒絶されるかもしれない!」
という思いこみが成就し、
「想い✖️行動」が現実にしてしまうからです。

皮肉だけれど、、理にかなってる。

恋愛だけでなく何かにつけて自分は求められているのか?
必要とされているのか?
愛されているのか?
とにかく不安で仕方ない。

そしてそれを確かめるような
行動や言動をよくしてしまう場合は
いったんストップ!

穏やかなしあわせを築くには相手に埋めてもらうよりも
自分1人でいても安心できるような時間を練習していくこと。

自分に対してやさしく自分を労ること。

私のこと好き?と聞く以上に
あなたが好き!と相手を受けいれるよう
自分を大事に大事にしていくこと。

相手と自分の境界や距離をとれること。

恋愛だけでなくあらゆる関係に言えますね。

ちなみに自分の想いが現実になることを「引き寄せ」と言いますが
別名「自己成就予言」とも言います。

悪いことだけじゃなく私はできる!と強く思いこむことで
言動や行動がそれに伴い現実になるってやつね。

みんなみな預言者でありクリエイターだ!

あなたの、私の、しあわせな予言が成就するよう、、
自分力を上げていきましょう。

◆もっと認めて褒めてあげて〜

何度かブログで書いていますが学生時代
ほんっま!成績が下の下でした。

40人クラスで常に35番目くらい。
かろうじてべべ(最下位)にならぬよう踏ん張ってた。

安定の35番でしたが中2の頃、定期テストの歴史で
一度だけ高得点とったことがあるのです。

普段は40点あるかないかの点数がなんとっ!!
80点以上取りました!!

理由は歴史の授業が面白かった。
担当の先生に認めてもらいたかった。
褒めてもらいたくて100点目指した?

なのでその時は他の教科捨てて
必死にやって試験に臨みました。

普段40点前後が80点以上てすごいやん
って今なら心から思えるんですけれど
当時はめちゃくちゃ凹みました。

あんだけ勉強したのに100点とられへんかった。
やっぱダメや、私。

ぜーんぜん、そんなことないのに。
普段40点の人が倍の点数とるって表彰もんやのにね。
倍どころか5点でも、10点でも多くとれたら
めちゃくちゃ立派。喜んでいいのに。

当時常に誰かとくらべ、〇〇でなければ肯定できず
自信がなかった自分に誰かひとりでも
「ようがんばったなぁ」
「すごいわぁ」
「うれしいわぁ」
「やればできるやん」
って言ってくれていたらどれだけ安心できたでしょう。

その安心が「次もがんばろ!」の
エネルギーになったであろうことは想像に難くありません。

カウンセリングでは大人も、子どもも
色んな年齢、立場の方々とご一緒しますが
当時の私のようにがんばりを正当に喜べないケースに度々出逢います。

そのたび背景や心情をくみつつも「ようがんばったね‼︎‼︎‼︎」
と私は喜びをあらわにします(自己開示技法)

試験や成績に限らず。
どんなことだって、自分なりにがんばったことって
やっぱりすごい。あたりまえでない。

そしてこのような積み重ねから、
クライアント自身が〇〇できました!と自分で自分を認め、
肯定できるようになっていかれるのを
実感するのがこれまたホンマにホンマにうれしい!

例え微々たる成果に思えても
おおいに認めて、褒めて、喜ぼ。

30数年前80点とったものの
他の教科がボロボロで結局、35番やったあなた。
ようがんばったね。

認める、褒めるは、いつからでも遅くないです。