◆いい運気のはずなのにイマイチなのは何故?あべこべの謎解き

占いで今いい運気のはずなのにイマイチなのは何故?
逆に停滞期のはずなのによいのは何故?

先日、親しい人が疑問に思っていたので
その謎解きをしました。

みなさんはどう思われますか?
あべこべに感じたことはありませんか?

で、そのあべこべが何故かというと

良い時期や停滞期も人生という同じ一本の線上で
存在することなので、単発で観るのではなく
繋がりを意識するかしないかで
結果が変わると私は思っています。

どんなに良い運気でも
それ以前の生活態度や選択が悪ければ
良い時期を生かしきれないし
逆に停滞期に努力していると
「イイ時期」のように思えることがあります。

なので停滞期に無理せず、やさぐれず力を入れすぎず
それでもやることやっていたら
良い時期はサイコ―に良くなるってことですね。

私がマンツーマン講座で開催している
「心の育て方講座」では、自分が持っている資質や能力を
人生という一本の道でどう捉えどう生かすのか
「心の在り方・使い方」をお伝えしています。

年を重ねると体は老化していきますが心が逆。

使えば使うほど、使い方がよければよいほど発展するし
自分が望む人生を創っていくことができます。

熟練の技、匠のようなものですね。

そのためには短期的や短絡的に考えず
「繋がり」を意識できるかどうかも結果が変わります。

また「運命」と自らの「選択」のバランスを
とれるかどうかも結果が変わります。

それを知っていると運気に左右されにくく
あぁ、自分にはこんな素敵な原石がまだまだあるから
どこでどう活かそうか?
いつどのように磨こうか?
と思うことができるようになります。

てことで、
もし「あべこべ」のように感じている人がいるなら
まず「繋がり」を意識していみてくださいね。

◆家が好き

こちらの家に引っ越してきて1年と少し。

以前と違うところは毎日家族以外の誰かが
お越しになられることです。

クライアントさんや受講生さま
友人やお客様方など。

よく「綺麗にされてますね」
「ちらかっていない」と言って頂きます。

時には「ここに住んでいるんですか?」
(寝泊り)と聞かれることもあります。

ここへきて公私とも境の曖昧な日々ですが
これまでの「住む」という概念が変わりました。

家には家族のものというより
家族を含むご縁ある人たちや好きな人たちと
「居心地よくすごす場」であり
「安心できる場」であり
「癒しの場」であり
「泣ける場」であり
「たのしい気分になるところ」
「元気になるところ」だと思うようになりました。

家族にとってもお客様にとっても
「拠り所ですね」とスタッフが言っていました。

せやな、ほんと、そう。

家が大好き!この場が愛おしい、、、そう思うので
綺麗にしなくちゃ!ではないんです。

愛おしいから綺麗にしたい。

あ、、ちょっと嘘です。

最初はお客様が多いから綺麗にしようがスタートでした。
ただここにきて反対になったというのがほんとのところ。

だからお客様のおかげであります。

綺麗を維持するためちょっとした
ルーティンと決め事をしています。

・玄関とトイレは毎日必ず拭き掃除をする
・モノの位置を決めだしたものは元に戻す
・3ヶ月に一度プチ整理整頓をする
・大好き、ありがとうと言う
・人の出入りの度に喚起し空気を入れ替え、イメージを気で整える

どれもちょっとのことですが変わります。

よい気が巡るよう今日も家に話しかけ
出来ることをしていきたいと思います。

◆お不動さんの思い出

「久々にお不動さんでましたね、、、」
スタッフがたまに私に言います。

スタッフとは公私で15年のお付き合い。
長いこともあり私の天使も悪魔もキレイも汚いも
そしてお不動さんも知っている1人です。

で、お不動さんって何かというと、
正義感というかなんというか、、、。
それは突如怒りの顔や無の顔になってあらわれ
それが出た時は自分だけれど自分じゃないような、
なんだろな、、うまく言えませんが豹変するので
それをお不動さんが出たと呼んでいます。

お不動さんに目覚めたのは小学校の時でした。
当時、仲が良かった友達ヤッコちゃんとの
放課後の出来事だったそうです。

私は覚えておらず大人になってから聞き
後から徐々に思い出しました。

当時ヤッコちゃんは9才で
コマなし(自転車)が乗れず悶々としていました。

乗りたい、恐い、乗りたい、怖い

でもまぁ自転車乗れなくても困らへんし
えっか〜と思っていたそうです。

ある日そんなヤッコちゃんを
チビユカは、遠くの公園に連れだしました。
私はチャリンコ、ヤッコちゃんは歩きで。

公園は街中から外れにあり人が少なく
自転車の練習にはもってこいでした。

そこで最初はヤッコちゃんを自分の自転車に乗せ、
後ろを押して、、走っては手を離すを繰り返していたようです。

ですが何度やっても進歩なく日も暮れてきました。

「もういいねん、どーせのられへんし」とヤッコちゃん。

その時わたしはお不動さんに豹変したそうです。

すごい形相で
「そんなんやからいつまでたっても乗られへんねやろが!
私歩いて先帰るからその自転車に乗って帰ってきてっ」
と公園からダッシュで走り去ったらしい。。。

おーこわっ。いやいやいやいや
余計なお世話と思いましたが‥

その後のいきさつをきいて
「チビユカなかなかやるな!」と思いました。

可哀想においてけぼりをくらったヤッコちゃんは
泣きながら自転車にまたがったそうです。

というのもその公園は家から徒歩で
30分以上距離がありへんぴな所でした。
また辺りは刻々と暗くなっていきます。

このままじゃヤバイ!とヤッコちゃん。

友達のチャリンコを放置するわけに行かず
早よ帰らんなと焦るわ、コワイわで
泣きながら自転車にまたがったそうです。

すると
・
・
・
のーれーたー!
す、すごいーーーー!

で、その様子を茂みで見ていた
チビユカが飛びだしてきたそうで
泣きながらヤッコちゃんに抱きついたそうです。

見方によればスパルタおせっかい「ドSユカ」ですが
結果的には良き良き!お不動さん。

何かに反応して怒りが湧く時
2種類あるように思います。

一つは自分を痛みから守るための
怒りや、トラウマからの怒り。

もう一つは愛からの怒り=お不動さん。

大人になるにつれ前者が多くなったり逆に怒れなかったり
また2つが混じりあったりもしますが(←私の場合)

本気で相手を思い叱ってくれるお不動さんはありがたい。

振り返るとこれまでに自分にも
本気で叱ってくれたお不動さんがいます。

あなたにとって、これまで出会ったお不動さんは誰ですか?
あなたは誰かのお不動さんになったことがありますか?

◆小さな変化を見逃さず自覚していくことが回復に繋がります

引きこもりで夜も寝れず苦しい
と数ヶ月おっしゃっていた方が
まず2時間は続けて寝れるようになった!
と報告をうけると
すごい進歩だな、回復だなと思います。

これまで家族のことが四六時中気がかりで
その話題ばっかりだった人が
状況変化はないものの
自分の趣味や好きなこと(好きだったこと)を
ちょろっとでも話す時間が増えてくるのを
目の当たりにすると
これまた大きな進歩だな回復だなと思います。

ですが大概ご本人は
「まだまだだ、、、」
と思われることが多いです。

その渦中にいると小さな変化に感動や喜びを
見出すことは難しいのかもしれませんが
それを見つけお伝えし
次の一歩を見据えるのがカウンセリングの時間です。

◆怒りと悲しみをあたかも正当な理由で押し込めないで、誤魔化さないで

人の投稿を見ていて
大きく反応したことがありました。

この人は命の重さをどう思ってるんやろうか?

一見きれいな言葉で
ポジティブに見える内容にみえましたが
人の生死に関する捉え方が軽く感じられ反応しました。

ハテナがたくさん出てフツフツ怒りが湧き
その後哀しい虚しい気持ちになりました。

なぜこんなに強く反応するんやろか?
自問自答しました。

それは人に期待していた自分がいたこと
そしてその反応には
過去に自分が人から軽んじられたことや
同時に自分が自分を軽んじ苦しめたことに
起因していると気づきました。

何もなければ
大なり小なり反応はしないはずですから。

そしてその後の
心の動きにもパンチを受けました。
(まだ続く?キッツー)

それは不快のあとに
「その人は、それだけ自覚なき根深い傷を
いまだ背負ってるんやな。だから仕方ない」と
納得させようとしたことに気づきました。

確かにそうなのかもしれません。

でも私がすぐ思ったのは
そう思うことで納得しようとしただけです。

つまり自分の不快をあたかも
正当な理由をつけて(知性化、合理化)
おさめようとしていただけだと思います。

何故気づいたか?

それは自分が小学校の時に受けたいじめを思いだしたからです。

私は小3〜小4まで
同級生にいじめを受けていました。

毎日暴言を吐かれる
手もあげられる。
片道40分の通学路は荷物持ち。
溝を歩けと命令され従う
大人が見ている時と
見ていない時の差がはげしいなど
これらごく一部ですが
2年間耐え続けました。

嫌、やめてと言えなかった。

それは大人に言っても
どうせわかってくれないだろうと
思っていたし余計酷くなるのが
こわかったから。

そしてそれ以上に耐えた原因は
いじめた相手が、
親から酷い虐待を受けていたことを
見て知っていたからです。

この子はかわいそうな子。

だから私にこんなことをしても
仕方ないんやと思っていたのです。

虐待を受けている子だから
友達をいじめることは仕方ない?

逆に虐待を受けたから
人をいじめていい?

(私も人をいじめたことがあります)

今思うとおかしいことですが
きっと私はそう思うことで正当な理由がほしく
自分が悪いのではないと思いたかったのだと思います。

今思うとそんな風に正当化しなくていい。

嫌なもんは嫌

ダメなものはダメ

そう思うのは自然なこと。

大人になった今も
理不尽を目の当たりにした時に
すぐ正当な理由をつけて
気持ちをなだめがちですが
その心の使い方は
手放していきたいです。

哀しいものは哀しい

怒りは怒り

おかしいもんはおかしい

それズルイやんと腹たっていい

何かあった時
それが過去に体験していても
そんなに簡単に切り替えられるものではない。

心をもって生きているから
悲しみや喜びも怒りもリアルに感じるのは
自然なことです。

すぐ誤魔化す自分も受けとめながら
ズルさを手放しラクになっていきたい。

抽象的な内容ですが等身大で書きました。