◆直接返事がない時にイラッ、モヤッとしたこと

メールや電話にて
相手から返事がないと気になります。

これまでたまーにそういう時があって
時には心配になったりイラッとしたり
モヤッとすることがありました。

イラッ、モヤッとするのは
例えばこんな時

以前、妹にあることを質問していたのですが
返事がないなぁ〜忙しいんやろなぁ
そろそろ聞こうかなぁ〜と思って聞いたら

「え?〇〇さんに返事しといたで」
と言われました。

いやいやいやいや
わからん、ようわからん
なんでそっち?となりました。

伝え忘れている〇〇さんが悪いわけでもなく
私と妹のやりとりに第3の媒体使って、
それなんの伝言ゲーム?となりました。

イラッとしたのは
直接的ではないところ

そしてこれまで何度か
他のパターンがあったからです。

ゆっくり話せないとか
うまく言えないとか
それはそっちの理由。

一言だけでいいねんけどな
待ってる人のこと考えてないような‥
寂しく思いました。

とはいえ返事をすること
それが出来ない時があると思います。

そして時と場合によって返事がないのも
返事だと思う時もあります。

ただこの場合はちょっと違う
第3の媒体で返事してるやん?

伝言ゲームするなら
もうちょい面白いやつにしてー!

ちなみにこれは
伝言ゲームじゃないですからね。
この件は直接本人に伝えてます♪

という私も返事するの忘れてへんか?
要チェックです。

◆カウンセリングを受ける理由

「私も(水崎)カウンセリング受けるよ」

というと、カウンセリングを受けに来ている
10代の方がびっくりしつつも
目を輝かせていたことがありました。

悩みがあるから
しんどいから
苦しいから
つらいから
身体症状があるから
〇〇とうまくいかない
〇〇に行けないから、
カウンセリングを受ける場合もあれば

考えを整理したいから
人の助けになりたいから
ほっとしたい、ラクになりたいから
心理学に興味があるから
カウンセリング時間が
ただただ気にいってるから受ける!という人もいます。

生まれてきてよかったな
自分でよかったな
あなた(他者)に逢えてよかったな

そんなよかったをじんわり感じられるように
何があっても
どこにいても
そのよかったに戻れる自分を
思い出せる心でいられるように
カウンセリングを提供し、
受けることを選択しています。

◆働きすぎだよ!と言われてモヤモヤしたこと

以前私が今より休みなく働いていた頃
「働きすぎだよ!」と周りの人が
間接的に言っているのを知りました。

きっと心配をしてくださっていたからこそで
今は有り難いと思えますが当時はモヤモヤしました。

そう感じたのは私の偏った受け取り方と
直接的ではなかったからだと思います。

そしてどこか否定されているように感じたのは何故だろう???
その理由が後になってわかりました。

1日8時間働いている人にとっては
同じ仕事で1日4時間働く人をみると少ないと感じるかもしれません。

1日2時間勉強する人からすると
6時間勉強する人は多いなぁと感じるかもしれない。

家族のために1日3食つくるのが日常な人には
1日1食だけつくることは少なく感じる、
また逆も考えられます。

要は同じものをみても、しても
「自分にとって」と「相手にとって」は違うもの

当時、私は受け取る側でしたが
「相手にとって」と「自分にとって」を
分けて受けとれていればモヤモヤを引きずらず
気にかけてもらった部分だけを受けとれていたかもしれません。

「自分にとって」と「相手にとって」は違うなので
自分目線だけで伝えたりまた周り回って伝わると
真意が伝わりにくいこともあると思うんです。

そうそうカウンセリングの基本は
まさにそこ、ここ!

「自分にとって」と「相手にとって」を分けて聴く
共感的理解が基本です。

たとえ似たような経験や価値観、
考え方であっても同じはないが前提

自分の場合はね〜を軸に聴くと
全て同じ経験しない限り
カウンセリングできなくなります。

「あなたにとって」を大切に
そして「自分にとって」も同じく大事にしたい、していこう。

◆「マイノリティとマジョリティ」と「ダイバーシティ」

マイノリティは少数派
マジョリティは多数派

ただそれだけのことが、良い悪い、
正しいか否かの評価や判断になってしまうことが多い、、
これまたマジョリティですね(笑)

息子の小学生の頃の交友関係を思い出しました。

彼はクラスの中でグループに属することがなく
遊ぶ相手は近所の子や時にはそこらへんの(どこらへん?)
中学生や幼稚園児とも遊んでいました。

当時「なんで?」とナンセンスな質問をした母(私)に
「皆、ともだち」と答えがかえってきたのが、今や懐かしいです。

グループには属したり特定の子たちと
遊ぶわけではありませんでしたが
登下校する際には
近所の1人の女の子と小1〜小6まで一緒でした。

高学年になると多くの子が同性同士になりますが、
彼は卒業まで一貫していました。

理由は知りません。

きっとそれも「ともだちだから」だったからなのか?
特に理由もなかったのか?
わたしゃ知らん(笑)

近年、社会的にダイバーシティという概念が推奨されています。
ダイバーシティとは一言でいうと「多様性」

「みんな違ってみんないい。違うからこそ新たな価値観や
知恵が生まれ生産性があがる!」という考え方でありますが
まだまだマジョリティやマイノリティに対する偏った見方が多いなと
日々のカウンセリング現場で感じることが多いです。

マイノリティ、マジョリティだから何?
ダイバーシティで考えてみよう

そんな柔らかくも強い居心地のよい
社会や集団を担える個人意識が高まるよう
私自身も公私とも意識していきたいです。

◆グリーフケア

私が保育士をしていた時の教え子が、14才で亡くなった時
お通夜やお葬式の場でお母様は涙を流されず
たんたんとされていました。

予期せぬ医療事故だったので
ご両親は相当な驚きとショック
痛みを抱えられていたはずでしたが、

号泣している弔問人たちの中で
逆に違和感が際立つ
普段とかわらない様子でした。

当時はそれが何故なのかわかりませんでしたが
今ならわかります。

痛みに耐えられないくらいのかなしみに遭遇すると
無感情になる、切り離す
または逆に平気でいる(チグハグ)
そして、更に深刻になると記憶を無くしてしまうなど
心がそれを一時的に押さえ込むための
麻酔が働いていたんですね。

哀しみや痛みを癒すセラピーのひとつを
「グリーフケア」といいます。

癒しには段階があって
ショック期 → 喪失期 → 閉じこもり期 → 再生期へと進み
人によっては期を行ったりきたりし、
また現実として受容していく時間も
身体症状の出方も様々です。

こういう時周りはどう言葉がけをしていいか
何をしていいか戸惑いますが
まず見た目や表面で判断したり評価しないことが
1番だと私は思います。

何も言えない、何もできないと思うかもしれませんが
ただただ思いを寄せ続けたり
時折気にかけて添うことは
見えない支えになるひとつです。

また「別れ」に限らず病気や事故などにより
これまでの当たり前が当たり前でなくなった時にも
似たような段階をたどります。

例えチグハグにみえても
それは当人にとって必要な過程であること

伝わらなくても
相手の今を理解しようとすること

そして、側にいる人が
しんどくなってしまわないこと

とても大切だと思います。