親族が、原因不明の腹痛で苦しみ
夜中に救急車を呼んだことがありました。
救急車はすぐ来たもののコロナ禍で搬送先が決まらず
車内で30分ほど待機しました。
その間に意識が徐々にハッキリし症状も落ちついていきました。
それもあってこちらも慌てることなく冷静で
現状をどこか離れたところから
観ているような感覚になりました。
救急隊員の方々の手際良い対応、連携、
病院についてからは医師、看護師さんたちがテキパキ処置をされ
患者への語りかけは目線を合わせ音量に気を配り、
それはそれは丁寧に話かけてくださる姿に胸が熱くなりました。
医療者も色んな方がおられます。
自他ともに当たり外れを経験したこともあります。
ですがその時の方々は素晴らしかった。
仕事だからこそ、出来るのかもしれません。
良くも悪くも「感情」や「気分」を介せず、
目の前の患者に今出来ることをやる、
それだけでした。
近年、親族関係で理不尽だと思うこと、
どこへも持っていきようのない案件や気持ちを抱え
弁護士や専門家にも対応不可能な、解決が難しい諸問題に直面し
怒り、哀しみ、虚しさを沢山味わいました。
どんなにおかしいやろと思うことでも、法にひっかからず
悔しい思いをしたこともありました。
救急車の件があった時は渦中だったこともありしんどい時期でしたが
医療者たちの対応が問題の対処へのヒントになり
私が変わるきっかけにもなりました。
医療従事者の方々が見せてくれた相手が知人であろうがなかろうが
今、目の前のことに集中する姿勢。
もし自分がこの姿勢で渦中の問題に
相手に対応できたら何か変わるのではないか?
そしてやるだけのことをやって
どうにもならないことはもう流れに任せるしかない。
そのような境地に目覚めたのです。
医療従事者は患者に対して相手が誰かは関係ありません。
極端な言い方をすれば善人であろうが悪人であろうが関係ない。
目の前の人、状態にやるべきこと出来ることを粛々とやる。
それだけ。
気持ちや、情、価値観、使命なども
切り離す。今必要なことだけを選んでやる。
これを自分の難解問題や人間関係にも出来ないかな?
それが出来れば悩みやしがらみから解放されるのかな。
軽減されるかもしれない。
そう思うと安心感が湧きました。
それ以来問題に関わる時はその時の光景を思いだし、
対応するようにしています。
だからといって怒りや哀しみ、虚しさが
無くなるわけではありません。
人の心はそんな単純なものではないからです。
ですが以前とは違い感情的に関わることが減り、
ドロドロした負の感情も分けてケアできるようになり
随分ラクになりました。
不思議ですね。
問題は解決していないんですが、気持ちは穏やかになっていく。
それまでは救急車をみたり
サイレンを聞くと気持ちが曇りましたが
それ以来、「大丈夫!うまくいく!」を
連想させるシンボルになりつつあります。
見ず知らずの医療従事者の方々の
おかげで気づかせてもらった
問題対処法。
大きな気づきを得た救急外来の機会となりました。
これらは私生活のみならず仕事に対しても活きています。
転んでも、傷ついてもタダでは起き上がらない。
おかげ様です。