◆そこに愛はある?父とぶつかり、ガチで向きあったこと

ここ最近エネルギー使ったことを書きます。
エネルギーって心のエネルギーです。

父と久々にガチ?で向きあいぶつかりました。

父が〇〇したい!と言っていることが
元家族(母とか、きょうだいとか、孫とか)全員反対で
それも大大反対の一件がありました。

ですが父はあーだこーだと言い
それを強行しようとしていました。

人にとっての正義は人の数だけある
人は変わらん

父のまわりはそれを周知しています。
そして普段は父の行動にめったに意見したり
とめたりすることをしません。

例え周りがしんどい思いをしても
特に私以外は、ほぼ尊重してると思う。

でも今回は「はい、どうぞ」とは言えなかった。
それは父の体に影響し、それだけでなく
家族の体にも生活にも影響することだったからです。

家族といえど父の人生
どうなったとしても本人の責任、選択やと思います。

でも、人は1人で生きてない。

そして本人が思う以上に様々な出来事は繋がっていて
個人の選択や行動が自分以外の人を深く傷つけることもあり
そしてそれは大概、立場的に弱い人(心身や状況)にいくと思います。

私は仕事上(だけでなく)人に関わる上で
「自分を大事にすることをまず優先」を軸にしています。

それは自分を自分で大事に出来ない人が
人を大事にすることは難しいと思うからです。

ですがこの選択に違和感を感じる時もたびたびあります。
(特に今回のような場合)

それはどちらかが自分を通す時、周りはどうなってもいい。
わかっていても見ないフリをする。
「やってみなわからへん」という自分にとって都合のよい正当化をする。

これらは自分を大事にしているのではなく
自分を守るための防衛で愛することではないと思います。

今回父は「お父さんはみんなのことを考えてるから
〇〇するんや!」と一点張りでした。

私は父とサシで話す前
2つのことを決めてのぞみました。

一、お父さんのことを尊重する!
一、YESは言わない!

さて、困ったぞ、難問だぞ
あ、もう一つ決めていたことがあったわ

怒鳴らない
一方的な感情だけをぶつけない、です。

実際話しあいは堂々めぐりでした。
父は最初から最後まで「〇〇する!」の一点張り。

結局「やめる」とは言わなかったけれど、
でも時間が半分すぎたくらいから言動が変化していきました。

「結香がお父さんを思ってくれてるのはわかるけど
やめることはできない(〇〇する)」

「結香がお父さんを思ってくれるのは有り難いけれど、(以下同文)」

そしてその話合いは父の心身の負担を考え
私から切り上げました。

数日たち、実家に少しだけ顔を出しました。
普段は私が行くとニコニコ嬉しそうに迎えてくれる父ですが
その日は微妙な表情で2、3言葉をかわした後は
自室から出てきませんでした。

ですが、母にきくとあれから一度も
「〇〇する!」とは言わないそうです。

先はわからないですが
何か考えてるんやろな、お父さん

何かを選択する時3つの観点から考え
選択することがあります。

一、正しいか間違いか
一、損か得か
一、好きか嫌いか(快か不快か)
又はやりたいか、やりたくないか

ですが今回はこの3つのどれも違っていました。
今回はそれが愛かどうか?そこを中心に考えました。

とはいっても、愛だって人によって違う。
そんなことよくよくわかっています。

だけども自分にとってだけでなく
相手にとっても、そして周りにとってもどうなのか?

今回はそこをブレないよう
何を返されてもお腹にグッと力をいれて
お父さんを尊重し、YESは言わず、怒鳴らず、
感情に任せず話をしました。

その夜はかなりエネルギーを消耗し
ぼーっとしていたら涙が勝手に流れていきました。

そしてそんな一連のやりとりを知った息子が
ひとこと声をかけてくれました。

もしオレのお父さんが
おじいちゃんと同じことを言いだしたら
自分も今日のお母さんと同じことをするよ

泣くー!

息子の愛で心的エネルギーがゆっくり回復
満たされていくのがわかりました。

迷った時、人や何かと対峙する時
「その基準は、自他への愛から選択したものかどうか」

世間が、社会が、世界が、コロナ禍の今
例えそれぞれの価値観が違っていても
愛からの選択、行動を‥

今だからこそ特に必要だと思います。