みなさんはこれまでに人に裏切られたと思うことがありますか?
例えば、言わないでって言ったのに秘密を他の人に話された
悪口を言われていた
嘘をつかれていた
騙された、、など。
こんな場面を「裏切られた」と言いますね。
信じていた分、傷つきは深く
人によっては怒りになって攻撃する
または仕返ししたくなることもあると思います。
むかーし、カウンセラー仲間で「裏切りと信頼」というテーマで
エンカウンターグループを行ったことがありました。
エンカウンターグループとは一つの題材について
それぞれ自分の考えや気持ちを話しわかちあいながら
個人やグループの気づきを促進していくものです。
その時ある人がこんな風に言いました。
『私は人に裏切られたと思ったことがないよ』
その場にいた人はえー?っとなりました。
『そして、これからも人に裏切られたということはないと思う!』
とおっしゃいました。
当時の私は信頼や信用の反対は
「裏切り」と思っていたので驚きました。
またその方はこれまで壮絶な過去を体験されています。
なので余計にわからなくなりました。
結局その場では納得いく答えが出ずでしたが
あれから10年近くたった今、
私も「裏切られた」という言葉を使わなくなりました。
それは、それまで思っていた
「人を信頼、信用する」という概念が変わったからです。
だからといって、それ以後も人との関係でショックを受けたり
傷ついたことはありましたし、また逆に私が
人に対してそのようなことをしてきたこともあると思います。
では、なぜ使わなくなったのか?
それは「裏切られた」という時は
人に〇〇されたと主体が相手になり
自分がいなくなっていることに気づいたからです。
あなたのせいで失敗した!
あなたのせいでひどい結果になった!
と言っている時
私がいなくなっていることに気づいたのです。
嘘をつかれたり、言っていたことが違ったりした時
その時はショックだし哀しいし、寂しいし、腹立たしい
また怒りで胸がワナワナするけれど
それを最初に信用したのは誰?
初めに信頼したのは誰?
それは、、まぎれもない、わたしなんですね。
だからといってショックはショック!
傷つくし憤りも感じます。
なのでショックを受けたらまず傷ついた自分に
すぐ寄り添うようにするようにしています。
そして人に何かをお願いする時は
相手を信頼できるかどうか以上に
信頼しようと決めた自分を信頼できるか?
を考えるようになりました。
もちろんそのためには相手をよく見て決めなきゃだし
もし思う結果にならなくても
この人ならと思えるかどうかは考えますが、、、
究極騙されてもいい!と思えるくらい、、かな。
(それはまだまだ無理だけど…)
長々と書きましたが、信頼と信用の反対は
裏切りではない( ← みずさきにとって)
お読み頂きありがとうございました。