先日、お逢いしたからとても良いエネルギーを頂きました。
それが今もずっと続いていてカイロ見たいです。
その方は会うたび笑っていて即行動!そして潔い!
これまで身近な大事な人の夢を10数年応援してこられ
それが叶うことが自分の夢でもあると一貫し
そしてその夢がかなえられた今、新たな目標に向かい歩き出されています。
その方がおっしゃっていた言葉で印象に残った一つはこちらでした。
『人のことをいいなぁ素敵だなぁと思うことはあるけれど人を羨んだりはないの』
一見「ほんま?」と返しそうな一言
ただ彼女なら本当にそんなんだと思います。
そして、そのひとことから思い出したことがありました。
それはむかし、心身が絶不調で生きていることに疲れきって
それでも死ぬに死ねなかったとき。
究極の状態でこのような自問自答をしたことです。
「それだけ自分や人生が嫌で苦しくて人が羨ましいならその相手と全てを交代する?」
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Yes!と即答かと思いきや答えはNoでした。
我ながら意外だったなぁ…。
一部だけならいいけれどすべては無理、いややってね。
そんな自分がいたんです。
自分のことが嫌!
でも人と全て入れ替われたくはない
今思えばそれくらい辛く苦しかったんですね。
そして自分や当時が嫌だと思う裏には
自分が自分でいいと思いたい欲求が強かったのだと思います。
カウンセリングで何のために生きているのかわからないという場面に立ち会う時があります。
でも私は未だ何の為に生きているのかわからないです。
例えこれ!というものがあっても変化するし、浮気ものだからね(笑)
でも人はいつか必ず死ぬ
自分でなんとかしなくてもいづれ肉体がなくなる
それが明日なのか、数年後か何十年かはわからないけれど。
だったらそれまで同じ時間を過ごすなら
出来るだけ、ほっとして
出来るだけ、あたたかく
出来るだけ、気分よく
出来るだけ、楽しく
出来るだけ、感動して
出来るだけ、しあわせを感じて
好きな人や大切な人と共有して
そのために出来ることをしたいな
今はそう思っています。
それに人と比べて羨ましいと思っても
じゃあ、全部入れ替わる?って聞かれたら、やっぱり今もNo!だな。
だって入れ替わったらこれまでよかったことも愛おしいものも
何にもわからなくなっちゃいますからね。