今や仕事やプライベートでも
自分にとっては当たり前になっている心理カウンセリング。
でも昔は心理カウンセリングは敷居が高い
受けていることが恥ずかしい
受けるのは自分が(心が)弱いから?
こんなイメージを持っていました。
20年前、うつや摂食障害などを発症した頃
周りからクリニックやカウンセリングを
勧められましたが抵抗しました。
それはカウンセリングは心は弱い人が受けるもの。
「弱い、弱っている=ダメな人」という
偏った考えがあったからです。
これって人に対する差別や値引き。
そして自分に対する差別が強かったのだと思います。
元気な自分は良くて
悩んだり落ち込んだり、しんどくなる自分アカン、ダメ!と。
だから心理カウンセリングに対し
「私はそこまで酷くない!」と抵抗し
自分を守っていたんですね。
また「頼ること=弱い人」だとも思い込みが強かったです。
だから自分で全てなんとかしなきゃ!と
いつもどこかで万能感を追っかけていました。
これって一般だけでなくカウンセラーや心理職を目指す人
現職者にも多いそうです。
日本よりカウンセリングの敷居が低いアメリカでは
心理職につく人の70%以上が
カウンセリングを受けてきた経験があるそうで
日本は20~30%以下だそうです。
客観的に見れば自分が試したことないものを
人にやりたいと思うことに
特に心理職という福祉や医療にも関連深い分野だけに違和感があります。
あくまで私の考えですが心理職であるからこそ
自分がカウンセリングを受けたり
教育分析、スーパービジョンを受講することは大切だと考えています。
人の心は複雑です。
誰が言ってたっけ?
心はコロコロ変わるから心と言うんだよと。(あってる)
心自体、正直なので心次第で良くも悪くも
そのまま健康に影響し、
人間関係に連動し人生も左右します。
カウンセリングを受けるのは
自分を大切にするため。
カウンセラーであっても、なくても
心理学は人のしあわせを願い、そのヒントがつまっているもの。
そしてカウンセリングはロボットにはできない!
そんな想いで現場にたち
これからも自分は援助側だけでなく
受講する人でもありたいと思っています。
心理カウンセリングが、心理教育が
さらに身近なものになっていきますように。