◆モノにあふれて幸せな人とそうでない人のエネルギーの違い

私は昔からリサイクルショップやアンティークショップが苦手でした。
場所によりますが、たいがい入って数分で気分が悪くなります。

何年も前からのことなので、そんなものかと思い
また気功を学んでからは
「合わない気をキャッチして上手くスルーできないねんな」と思っていました。

映画「フジコ・ヘミングの時間」を観た時
フジコさんのパリの部屋はモノだらけでした。
そこに愛猫も3匹。

何百冊?の読んでいない古書のコレクションや
アンティークの木の重厚なシェルフ、珍しいガラスなど
それはもうぎっしりです。

フランス人は服を10着しか持たないと聞きますが
フジコさんのパリの家は逆?真反対。

けれど、今回の映画の中でみた空間は
気分が悪くなるどころか上がった!

なぜならフジコさん、どれをみても、どのモノたちにも
こう声をかけて紹介するのです。

「私ね、これ好きなの」
「これも大事なの」
「これが大好きなのよ」
まるで子どものように、さすりながら撫でながら言うのです。

気功の新屋先生とモノや場の
エネルギーについて話をしていました。

新屋先生いわく、
「純粋な心地よいエネルギーで満たされている場は
モノが多くても心地いいんだよ。多い少ないんじゃないんだよね」

ほんまや。確かに!

それは、その人がそのモノや場や動物をどれだけ愛し大好きで
子どものような心でつきあっているかがエネルギーだからですね。

幼い頃、ビー玉、いい匂いのする消しゴム
友達と交換した便箋や、イラストなどそのどれもが大切でした。

そして、それらと同じくらい
てんとう虫、ダンゴ虫、道端の石ころ
ガラスの破片なども大好きで宝物でした。
例え、それが使えないものだとしてもです。

ある日、机の引き出しから出てきた
大量の虫や石ころをみて母が叫びました。

今すぐ捨ててきなさい!
そんなもの!!
早く!捨ててきなさい!

泣きながら抵抗しましたが、守りきれませんでした。

母にとっては不要なものでも、幼い私にとっては
ただただ好きなものでした。

「ものに想いをこめたり通じ合ってなくてエネルギーが下がるから
近年、断捨離が流行ったんだろうね」と新屋先生。

確かに空虚感で集めたモノに溢れていると
その場の気は重くなります。

ただ、一方でどれだけモノがあっても
それらを扱う人の心のエネルギー次第で
場の気はあがるんだよねとも話していました。

もし私がまたてんとう虫やダンゴ虫をコレクションしだしたら
これを見ている皆さんはそっと見守ってやってください。

純粋なエネルギーに還っただけですから。
いくつになっても子ども心に耳を傾けよう。