◆言う勇気と、言わない勇気

私が育った家族は秘密ごとが多くありました(私の所感)

例えば、引っ越しするのに私だけ間際まで知らないとか。
なんで家から徐々にモノがなくなっていくんだろうと謎でした(笑)

日常であったことをお父さんに言ってはダメとか。
その影響で大人になってからは「正直に」や「打ち明け話」や
「内緒にされること」に敏感に反応していました。

なので、一時期は自分が「正直に何でも思ったことを口にする」にこだわったり
かたや「秘密」や「沈黙」にこだわったり極端にアンバランスでした。

自分もしんどかったけど、まわりとかみ合わず
特に団体やグループの付き合いが苦手でした。

もう10数年前ですが、私が当時親しかったある方に
自分の考えや想いを意を決して伝えたところ返事がありませんでした。

私は、その方が勇気のない人だと思いました。
自分を守るために黙るのかな?と解釈していました。

その時期だけのお付き合いになったので本当のところはわかりませんが
今振り返ると返答するのに時間を要したのかもしれないし
返答し辛かったのかもしれないし
勇気がなかったのかもしれないし
もしかすると「言わない勇気」をもって接して下さってたのかもしれない
と思うようになりました。

もし、最後の理由なら自分はすごく大切にしてもらっていただんだと
その時を思い返し後々思うようになりました。

きっと私が一生気がつかなくても、誤解されても
自分と相手を守るために言わないを選択し離れることもあるのだと知りました。

どこまでいっても人の気持ちはわかりません。

心理カウンセラーをしていて言うのもなんですが
心理カウンセラーだから思うのですが
人はどこまでいっても一人だし自分でしかない。

そう思うと切なくもありますが
そんなひとりひとりが生きて人とつながっているのだと思います。

当事者には言えなくても信頼できる人に話せる
自分の溜まった気持ちを放せることは
自分を自分で肯定する勇気を得ることができます。

心理カウンセリングはそんな場所です。

話がそれかけましたが・・。

ありのまま言うか、言わないか
どちらも自分の守りにもなれば
相手を思うがゆえの行動にもなることがあります。

そして怖くて一時期的に逃げる時があっても仕方がありません。
それがその人に必要なら仕方ない。

幼いころの家族関係の秘密ごとの理由にも
色々あったんだろうなぁと想像ができるようになりました。
といっても、嫌なもんはいやだったけど。

でも、やっぱり本当のところはわかんない。
わからないままや、中途半端も
それはそれで良しと思う今日この頃です。